日常の話




 ある日、いつものように子供部屋で侑士と戯れていると玄関の方からガチャンとドアの開く音がした。次いで「あらぁ、今日来る言うてた?」というお母さんの声も聞こえてきて、親しい間柄の客人が訪れたことが分かる。

「なんやろ、おばちゃんかな?」

 侑士は私と同じようにひょいと顔を上げると、玄関の方に視線をやりながらぽつりと呟く。よく聞いてみると、わいわいと楽しげに話すもう一つの声は確かに叔母さんのものらしかった。
 そうみたい、と侑士に相槌を打ったところでドタドタという元気のいい足音が一つ、子供部屋に一直線に向かってくる。叔母さんが来ているということは、つまり。

!ゆうし!きたったでー!」
「あ、やっぱけんくんもきてたん」
「おう!とちゅうでおかんがたこやきこうたから、さめへんうちにたべよーや!」

 そう言うが早いかまたドタドタとリビングの方に駆けていく。謙君は本当に元気がいいなぁ。どちらかというとインドアな私達姉弟とは大違いだ。
 従兄弟である彼は同じ区内に住んでいて、よくこうして私達の家に遊びに来る。忍足の家は親戚がやたらと多い家系なので親戚同士であっても関係が希薄だったりもざらなのだが、私達は同年代の子供というのが極端に少ない(というかほぼ居ない)こともあってとても仲が良かった。多分、逆に普通の従兄弟同士よりも仲良しなんじゃないかと思う。

 ほんならおれらもいこか、と差し出された侑士の手を取って謙君の後を追うと、リビングには良い匂いが充満していた。テーブルには謙君が言っていたようにまだ微かに湯気の出ている美味しそうなたこ焼きがある。ああ、匂い嗅いだら何だかお腹も空いてきちゃった。あっ、ていうかあの袋!叔母さんみたけ屋で買ってきてくれたんだ!
 私あそこの好きなんだよね、と少しばかり浮かれながらも、まずは挨拶をと侑士と2人で「こんにちはー」と叔母さんの元へ近寄る。すると叔母さんも「はい、こんにちはー」と返しながら、繋がれている私と侑士の手を見てにっこりと微笑んだ。

「なんや二人とも、相変わらず仲ええなぁ」
「そうなんよ、この子らな、しょっちゅう今みたいに手ぇ繋いでてん。うちン中でもやで?特に侑士がにべったりでな、何するにもー言うて……」
「うっさいでおかん!」

 そんなんいわんでもええやろ!と侑士ががなり立てるのを、お母さん達は「はいはい、分かった分かった」と軽く笑って受け流すと、またすぐにわいわいと主婦同士の話に花を咲かせ始める。
 あしらわれてしまった侑士はといえば、益々不満そうに唇を尖らせていた。叔母さんが冷めてまうよ、と勧めてくれたので侑士も大人しく椅子に座ったのはいいが、お母さんの発言に不服そうに眉を顰めたままだ。多分、謙君が侑士を見ながらニヤニヤしているのが主な原因だと思う。

「ゆうしはがおらんとなんもでけへんもんなあ」
「うっさいゆーとるやろ、こんぼけ!べつにがおらんでもかわらへんわ!」

 あっ、このやろう侑士。ただの売り言葉に買い言葉ってやつなのは分かるけど、結構傷つくぞその言い方。
 むっと少し眉を寄せて向かいの侑士を睨むと「あっ、ちゃうで!そーゆういみやない!」と焦った声を出した。それを見て謙君が面白そうに笑う。ああもう、ややこしくなるから謙君ももう止めろっての!

「わかってるから、もうたべよ?さめるし。けんくんも、あんまりゆうしからかわんとって」

 そう言うと侑士は少しほっとしたように笑い、それから謙君を少し睨む。しかし謙君の関心は既にたこ焼きの方に向いていた。まあね、喧嘩なんかして放っておいたら冷めちゃうしね。
 私も謙君に倣って長めの爪楊枝を手に取り、ちょいちょいとたこ焼きを突付く。大阪の大きなたこ焼きは幼児にはちょっと大きすぎだ。とても一口では食べられないので少しずつ齧りながら、それにしても、と先程の自分の言動を思い返して少し可笑しくなった。

 私が関西住まいの子供として生活するようになってもう2年以上の月日が経過した。そんな生活の中で少しずつ私の口から出るようになった、関西弁や、独特のイントネーション。
 それが妙にくすぐったい。私、大阪の子になったんだなぁって感じで。

 私は元々“忍足”になる前は、19年間ずっと関東圏で暮らしていた。その間関西出身の人間と接することも特になく、耳にするのも口にするのも多少の訛りはあっても標準語に近いものだった。それこそ、関西弁なんてテレビでしか聞いたことがないような生活で。
 その19年間の記憶を有しながら関西に生まれた私は、はっきりと物心がついた3歳までの3年間関西弁を聞き続けたせいかその言葉に特に違和感を感じることはなかったものの、自然に関西弁が口をついて出るほど関西弁に慣れていなかった。19年間使い続けた言葉と、3年間聞いた程度の言葉では比べるべくもない。

 周囲の人達は関西から出たことのない私が標準語を話すことを酷く不思議がったが、私にもどうしようもなかった。あんまり怪しまれるなら意識的に関西弁を喋るようにした方がいいかな、とも思ったが、絶対似非臭いものになるんだろうなと思うと私には恥ずかしくて無理だった。
 関東圏の人間が無理に使った関西弁を関西住まいの人が聞けばどう思うかなんて、そのくらい関東から滅多に出たことのなかった私にだって想像するに難くない。子供だからきっとそんなに気にされないだろうとは分かっていても、どうにも自分で恥ずかしくなってしまって駄目なのだ。
 そんな思いから無理に関西弁で喋ろうとはせず、怪しまれてもその理由を解明することはどうせ誰にもできないんだから、と高を括って普通に標準語で喋ってきたが、次第に関西っぽいイントネーションや言葉が不意に口をついて出ることが多くなってきた。特にイントネーションは、関西特有のものに近くなってきている。
 初めは自分でも驚いて「うわ、今のおかしくなかったかな?」と慌てたりしたが、この身体はもう5年以上関西弁を聞き続けているんだからつい口をついて出てきてしまうのもおかしくない。幼い頃に耳にする言語は習得するのが早いっていうし、元々関西弁って何だかテンポが良くて移りやすい気がするし。

 こうやって関西に馴染んでいくのかなぁ、なんて思いながらはむはむとたこ焼きを頬張っていると、隣では謙君が「ごちそーさんっ!」と元気よく手を合わせていた。ちょっと早すぎやしないか。ちゃんと噛んでるのか不安になるくらいの早さなんだけど。

「けんくんはあいかわらずはやいなぁ」
はあいかわらずおっそいなぁ。もっとはよたべんととられんで!」
「アホ、誰もとらんわ。もっとよう噛んで食べなあかんていつも言うとるやろ!」

 まったく、と叔母さんに怒られても謙君は「なんでもいちばんがええやんか」なんて悪びることなく言い放つ。すると即座に叔母さんの手が謙君の後頭部へと伸び、それを見ていた侑士があほや、と呟いた。
 そこからまたちょっとした口喧嘩に発展するんだけど、なんだかんだ言いつつも仲が良いので結局はみんなで一緒に遊んでそんなこと忘れるっていうのがお決まりのパターンだ。やっぱり私達従兄弟は仲がいい。

 ああ、今日も忍足家は平和である。