新たな楽しみを君と
少し広がった袖口が特徴の白いブラウスに、ふんわりとボリュームのある3段ティアードがひらひら揺れる黒のフォーマルワンピース。
髪はくるりと緩く縦巻きにして、それから大きめのサテンリボンがついたカチューシャをつける。
うん、ばっちり決まってる。
試しにスカートのフリルを遊ばせるように姿見の前でくるっと回ってみると、後ろでそれを見ていた由美子姉さんがパチパチと拍手をしてくれた。
「うん、完璧ね。きっと新入生の中で一番可愛いわよ、」
そう言って姉さんは私を招き寄せるとちょこちょこと指先で私の前髪を整えて、自分のことのように嬉しそうに笑う。「ありがと、由美姉」と私も笑い返せば、姉さんはもう一度柔らかく笑って私の額にちゅっと唇を落とした。微かな感触がくすぐったい。物理的にじゃなくて、その暖かな雰囲気が、どうにも。
思わず肩を竦めてふふっと忍び笑いを零すと、今度はぎゅうっと胸の中に閉じ込められた。
「あー、可愛い。何でうちの子達はこうも可愛いのかしら」
姉さんは何だか困ったような微笑みを浮べながらはあーっと大きく溜め息を吐いて、よしよしと私の頭を撫でる。私からすればそういう由美姉の方が可愛いし綺麗だと思うんだけど、なんて思いつつ、そのまま姉さんの腕に大人しく身を預ける。そうして暫くの間私を抱き締めるとそれなりに満足したのか、姉さんは私を腕から解放して「母さん達にも見せてあげないとね」とにっこり笑った。
姉さんがさっきまで使っていたブラシやらヘアアイロンやらを片付けてくれるのを待って、真新しいスクールバッグを手に部屋を出る。きっと周助が褒めちぎってくれるわよ、なんて姉さんに茶化されながらリビングへと向かい、カチャリとそのドアをくぐればもうすっかり身支度を整え終わった周助と裕太に迎えられた。
「ごめんね、またせちゃって」
「ううん、だいじょうぶだよ。母さんもまだだし」
女の子のしたくはいろいろあるんだよね、とよく姉さんが口にする台詞を借りて、周助は聞き分けよくにこりと微笑む。まだ小さいのにこの歳からこんなにフェミニストだなんて!とちょっと感激していると、周助が「それより、」と私の思考を遮って、それからふにゃんと相好を崩した。ああもう、うちの弟は本当に可愛い。このくらいの年齢で周助みたいに美人さんだと、美少年っていうより美少女にしか見えないくらいだ。
「ワンピース、すごくかわいい。にあってるよ、それ」
かみ、ちょっとまいたんだね、と言いながら緩く巻かれた私の髪をそっと撫でるように触れて、また「かわいい」と微笑む。すると横からそれを物珍しげに見ていた裕太は不意に手を伸ばしたかと思うと、姉さんが整えてくれたばかりの髪をくしゃりと掴んだ。くるくるー!と無邪気に笑う裕太を微笑ましく思いながらも折角整えてもらった髪が崩れてしまうことを考えて「どうしようかなぁ」なんて考えていると、周助が「こら、裕太」とその手を軽くぺちんと叩いて戒めてくれた。
「だめだよ、くずれちゃうから。ほら、裕太も言ってあげて?、かわいいでしょ?」
「うん!おねえちゃん、くるくるかわいいね」
周助に促された裕太は「ひらひらもかわいいねぇー」なんて笑いながら今度は私のスカートの裾をちょっと引っ張って、周助がまたぺちりとそれを戒めた。うう、だから由美姉の時も思ったけど、絶対そっちのが可愛いんだってば……!
「ありがとね、裕太。周も、そのスーツにあってる。かっこいいよ」
内心では可愛い可愛いと騒いでいたものの、周助も男の子なのでその褒め言葉はあまり嬉しくないだろうとそう言い換えてみた。どっちにしろ、この日の為に新調した子供らしい半ズボンのベストスーツが周助に似合っていることに変わりはない。
私の支度を持っている間裕太と戯れていたせいか、少しだけ歪んでしまっているネクタイを直してあげれば周助は「ありがとう、」と嬉しそうにはにかんで。ああ、もう、やっぱり可愛いな!私の弟!
そんな風に内心で周助を褒めちぎったりしているうちに「ごめんなさいね、時間掛かっちゃって」と母さんが顔を覗かせて、揃って家を出ることになった。
裕太を幼稚園、姉さんを高校へと見送って、フォーマルな装いの私達が向かうのは今年から私と周助の学び舎となる小学校。今日は私達双子の記念すべき入学の日なのだ。
数週間前からこの日のための服を選んだり、スクールバッグを用意したり、勉強机を買ったり。そんな風に周助と一緒に入学に向けての色々な準備をしていると、少しずつ入学も楽しみになってくる。環境が変わるというのは、幾つになろうと期待と不安で胸が高まるものだ。周助と二人でどんな学校だろうね、図書室が広いといいな、なんて想像を膨らませたりしていた。
「やっぱり、ちょっとドキドキするね」
「そうだね。入がく式だしねー」
物事の始まりというのは、幾つになっても緊張や期待が伴うものだ。反則幼児な私も御多分に漏れずちょっとドキドキしていて、でもやっぱりそこは本物の幼児である周助の方がそのドキドキも強いらしい。そわそわと少し落ち着きのない様子はこのくらいの歳の男の子であればむしろ落ち着いていると言えそうだけど、普段の周助を考えればその様子はやはり珍しいものだった。
まあ環境がガラッと変わるわけだし仕方ないかな、なんて思いつつ周助と戯れているうちに母の運転する車は何時の間にか小学校付近の駐車場へと辿り着いていた。促されるままに車を降りると、遠目にも分かるたくさんの薄紅が目に入ってくる。やっぱりどこの学校にも桜並木は必須だね。並木とまではいかないとしても、沢山植えてあるのがセオリーというか。この時期になると本当に綺麗だ。
「周、周。ほら、向こうにがっこう見えるよ」
「本当だ。さくら、いっぱいだね」
「ね。いかにも入がく式、ってかんじ」
周助と手を繋ぎ、もう片方の手は母に預けて連なるようにして学校を目指す。周助と一緒に綺麗だと褒め称えた桜並木が近づくごとに、改めて今日がこれから過ごす6年間の始まりの日なんだという実感が湧いてくるような気がする。
暖かいようでまだ少しだけ肌寒い空気も、風に乗ってひらりひらりと舞い散る薄桃色の花弁も、自分の纏う真新しい服の匂いも。それら全部が、この始まりの季節を示していた。
繋いだ手から伝わってくる少し落ち着かない雰囲気も、その一部だ。でもそれが先ほどからあまり歓迎できないものに変わっていることを、私は感じていた。
これから始まる生活への期待と不安。そうした感情は新生活を始める時には付き物で、当然私にだってあるけど、周助のそれは学校が近づくにつれてどんどん不安ばかりが増しているように思える。ほんの少しだけど表情が曇って、さっきよりも更にそわそわした様子で。
「……ね、周。もしかして、何か、不安なことでもある?」
校門をくぐり抜けていよいよ校内の敷地に足を踏み入れたというところで、周助にだけ聞こえるようにそっと呟く。ちらりと視線と共に向けられたその問いに周助はハッと少し目を開くと、すぐに困ったように眉を下げた。それから少しの逡巡の後、躊躇いを大いに含んだ口が「あのね、」と少しだけ開かれる。
「ぼくたち、きょうだいでしょう?」
「え?うん、そうだけど……」
「……きょうだいどうしは、同じクラスにはならないんだって」
べつべつに、するんだって。
そう聞いたんだと呟いて、周助は寂しそうに、残念そうに少し目を伏せた。それを見て、ああそうか、と小さくひとりごちる。
私達が今まで通っていたのは勉強に中々力を入れているタイプの幼稚園で、能力的にクラス分けをしてそれぞれに合うレベルの学習をさせるという形をとっていた。勿論賢い周助とチートな私は入園当時から2人揃って選抜クラスみたいなものに属していて、幼稚園にいる間はクラスが離れたことなど一度もなかった。しかし、これからは周助の言うとおり同じクラスというのは無理だろう。1クラスしかないなら話は別だが、普通は血縁者同士というのは同じクラスにしないものだったはず。
どこからか聞いたその情報を思い出して、入学前の浮かれた気分が飛んでいってしまったわけか、と納得する。でも、こればっかりは仕方ない問題だ。どうにか納得してもらう他ない。
「そうだね……これからずっと、クラスはべつべつだと思う。でも、だいじょうぶだよ。クラスはちがっても、同じこうしゃの中にいるんだもん。それにがっこうに行くときだっていっしょだし、かえるときもいっしょでしょ?」
「うん……そうなんだけど」
どこからかしょぼん、という効果音が聞こえてきそうな調子で周助はそう小さく呟くと、不服そうに俯いた。離れ離れになるのをこうも寂しがってもらえるなんて姉冥利に尽きるなぁ、なんて沈んだ様子の周助に対してちょっと不謹慎なことを考えつつ、繋いだ手にぎゅっと力を込める。
「……私は、ちょっとたのしみだよ?べつのクラスになるの」
「えっ……?どうして、、ぼくとはなれたいの?もしかして、今までもはなれたかった?」
「ううん、そうじゃなくて。今まではずっといっしょだったから、おたがい今日何があったかぜんぶ知ってたでしょ?これからはべつべつだからさ、周にはなしたいことも、ききたいこともがいっぱいできるな、って思って」
そう言ってにこりと笑いかければ、周助は曇っていた表情をきょとんとしたものに変えて、ぱちりと瞳を瞬かせた。
「いっしょにはいられないけど、いえにかえってから周と『今日はこんなことがあったよ』っておしゃべりするのもたのしそうじゃない?その日あったたのしいこととか、うれしいこととか。かなしかったことでもこまったことでも良いよ、いっしょにかんがえたりできるでしょ?」
今までは悲しいことも楽しいことも全部共通。1通りしかなかった。でもこれからはお互い別の場所で別の経験をして、家に帰ってその経験を共有することが出来る。よくいう、楽しいことは2倍、悲しいことは半分こってやつだ。
良いと思わない?と周助に同意を求めると、きょとんとした顔を今度は微笑みに変えて、周助は大きく頷く。幼い子供とは単純なもので、新しい楽しみを指し示してやれば下降していた気分もすぐさま上昇し始めるらしい。
「そうかんがえると、すてきだね。毎日、たくさんたのしいことがあるといいな。にはなすならたのしいことがいいよ」
「うん、私もたのしいこといっぱい見つけてくるよ。そうしたらぜんぶ周におしえてあげる」
そして弟の機嫌が良くなれば、さっきよりもずっと自然に、勝手に頬が緩んでしまう私も、なんて単純な生き物なんだろう。