始まりは“唐突”がセオリー
自分が新たに生れ落ちた世界が某庭球漫画の世界である、という重大な事実に気付いてから、おそらく一月ほど経った頃のことだったかと思う。
えーうわーマジかよー!なんて驚きつつも、まあだからって別に自分の生活がこれといって変わるわけでもないし、と楽観的に捉えていた私に、ある転機が訪れた。正確に言えば『私』にというより、『私の弟達』に。
「え?ゆみねえって、テニスぶだったの……?」
「あら、知らなかった?でもまあ仕方ないか、試合見に来たりしたこともなかったものね」
引退する前に一度くらい見に来てもらえばよかったかしらね、という言葉とは裏腹に、由美子姉さんは残念そうな色もなく綺麗に笑いながら私の頭を撫でる。そんな姉の麗しい顔を凝視しながら、私は暫しぽかんとしてしまった。灯台下暗しっていうのはこういうことか……。
まさかこんな重要なキーワードが既に近くに潜んでいたとは!なんて思わないでもないが、気付かなかったのも仕方ないだろう。だってこの間までここがあの『不二家』だということすら気付いてなかったんだから。たとえ今までに姉の口からテニスという言葉を聞いたことがあったとしても、恐らくその時は普通にスルーしていたに違いない。
「これでもね、地区大会なんかでは結構有名だったのよ」
凄いでしょ?なんて悪戯っぽく笑って話す姉さんは、見れば見るほどついこの間までテニスをしていたようには思えない。姉さんは確かに綺麗だしスタイルもいいし雰囲気もセレブっぽいし、テニスなんかしたらそれはもう抜群に似合うだろうなーとは思うが、どうもその色白な外見からはテニスなんて日に焼けそうなスポーツ(そりゃ屋内でやることもあるだろうけど)は連想しにくいのだ。
「でも、やめちゃうんだ?」
「んー……お姉ちゃん、高校は今と違うとこ行こうと思ってるの。だから、それと一緒にテニスも卒業しちゃおうかなって」
だからソレは、裕太達にあげるわ。
そう笑いながら由美子姉さんは裕太に向き直って、今度は裕太の頭を撫でた。姉さんの言う“ソレ”とは、裕太が小さな体で抱き締めるように抱えているラケットのことである。それは私達がきちんとテニスラケットとして使うには些か大きすぎるが、遊び道具にはなるとは思う。でも、いいのかな?テニスはもうやらないとは言ってもこのラケットは3年間使ってきた所謂思い出の品というヤツなんだろうし、大切にしまっておいた方がいいんじゃ……。
そんな風に思って「ほんとにいいの?」と念を押すように尋ねると、「心配しなくても、一番の相棒はちゃーんと取ってあるわよ。完璧にやめちゃうわけじゃないからね」と茶目っ気たっぷりのウィンクが返ってくる。でもその子達も大事にしてあげてね!と念を押すように鼻先をつつかれて、周助達と一緒にコクコクと首を縦に振れば由美子姉さんは嬉しそうに、鮮やかに笑った。
ともかく、そんな経緯でその“テニス”という要素は、唐突に私達の生活の中へと入り込んできたのだ。
それからは姉さんから貰ったお下がりのラケットとボールを使ってサーブをしてみたり、ラリーとも言えないような打ち合いをしてみたり。曖昧な記憶を頼りに行うそれは本当にただのお遊びで、頻度としても天気が良い日に気が向けばという程度だった。
しかし初めこそそんな『テニスごっこ』だった遊びは、そのうちに私達の遊びの時間の大半をテニスが占めるようになり、最終的にはそれぞれがきちんとサイズの合う専用のラケットを持って街のテニススクールへと通うまでになっていた。それというのも、周助がどんどんとテニスに関心を抱くようになっていったことが大きな理由の1つだと思う。
「んじゃ、いくよー!」
掛け声と共に、握り締めていたボールを勢いよく空へと放つ。軽やかに天を突き、すぐさま落下してくるそれ目掛けてラケットを振る。力みすぎないように、ラケットの遠心力に腕を任せるようなイメージで、と教わったコツを意識しながら自然な軌道で腕を降り下ろせば、パァンと小気味良い音を立てて緑色のコートに鮮やかな黄色のラインが走った。
不二姉弟、テニスとの出会い。なれそめ。
ヒロインがテニスを始めるまでとその終わり。
まず姉がテニスをやめて残ったラケットを弟達の遊び道具にするところから始まって、3人はテニススクールに通い始めるんだけど、そのうちやっぱ天才な周助とは差がついてきて姉は「大丈夫かな、周助。私が同じようにできなくてもショック受けないかな」とか心配し始める。
その頃には周助は年上とかも余裕で打ち負かす天才っぷりを遺憾なく発揮してて、同ランクのレッスンを受けてる子供の中では負けなし。そんな中スクールで打ち合い一緒にやろうって他の子を誘ったところ「不二君、僕と違って上手だしさ…もっと上手い人とやりなよ」って断られて、戸惑ってるうちに早くペア組めってコーチに言われて組もうと思うんだけど、組んでくれる子がいない。そこで周助を良く思ってない他の子が「お前となんか一緒にやりたいヤツいるわけねーじゃん」とか言うもんだから周助超ショック。でもグッと堪えて、「それじゃあ……コーチ、すみません、ラリーに付き合ってもらってもいいですか」って気丈に振舞う。でも近くのコートで「何か様子変?」と思って様子を窺ってた奏にも他の子が言った言葉が聞こえて、慌てて駆けつけてくる。それで「周助、まだペア決まってないなら私と一緒にやろ!私も向こうで余っちゃってさ。あの、コーチ、私コート違いますけど、別にいいですよね?」って言うんだけど、コーチが答える前に周助が「い、やだ!だめだよ……!奏は、だめだ……僕とは……やらないで」って訴えて、奏もびっくり。
んで奏は後で周助と同じコートにいた当事者じゃない子に詳しい話を聞きだしてとりあえず事態を把握。んでそのあとすぐに周助はもう1段ランクが上がって、それからスクールでも家でも普通に振舞ってるんだけど、奏がラリーとかゲームに誘うと「ううん……やめとく」って言うようになる。「私、周助と打ち合うの好きだよ」って言っても駄目。姉だけには嫌われたくない弟。そんなことで嫌う姉じゃないことは分かってるけど、そんな危険すら冒したくない弟。奏はその状況を今はどうすることもできないと思って、元から「流石にテニスはどんなに努力しても周助と同じレベルでやるのはキツイな」って悩んでたから、テニススクールをやめることに決める。
「え……?奏、やめるの……?」
「んー、別にテニスが嫌いになったとかじゃなくてね、私はサポート役でもいいんじゃないかなーとか思ってさ。なんていうか、実際に自分でやるよりも観戦の方が好きかなー、なんて。元々私がテニス始めたのって、周助達と一緒ならやってみようかなー、みたいな軽い感じだったしね。で、それならただ見てるだけより、マネージャーみたいなことするのも楽しそうだなって思って」
「そう……そう、なんだ」
「うん、これからはバッチリサポートするよー。周助も裕太も!応援するから頑張ってね!」
「うん……ありがとう。…………ごめんね、奏」
「…………うん?」
「……ごめん……、ごめんね。僕、奏にだけは……絶対に、絶対に嫌われたくなくて……」
「……何言ってんの、周助。ありえないでしょ、そんなこと」
「うん……うん、ごめんね……。ほんと、ごめん、僕……怖がりで」
「……うん……」
「奏だけは……、本当に、奏だけは駄目なんだ……」
「うん……もう分かったって。別に謝る必要なんかないのに……ほんと、馬鹿だね周助は」
「うん、ごめん……」
「……ていうか!誤解があるようですけど、私単に観てる方が好きだからサポートの方に回るってだけなんで!別に周助がどうとかじゃないから!わかった?」
「……うん、分かった。ごめんね、ありがとう、奏」
「もー……だから、ごめんもありがとうも言われる覚えがないんだってば」
とか言いつつ終了。
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