待望の君 1



 季節は春。桜も花の盛りを少し過ぎ、新緑に身を染め始めた4月中旬。
 色とりどりの花々が咲き誇る花壇を遠目に眺めながら、私は静けさに満ちたその場所―――図書館へと足を踏み入れた。



 きゅ、きゅ、と小さな足音を立てながらズラリと並んだ本棚を横切り、目的の場所へ真っ直ぐ向かう。談話室と書かれたプレートを掲げるその部屋の扉をガチャリと押し開けば、そこには誰の姿もなくただ椅子と机だけが並んでいた。しかしそれは半ば予想していたことで、やはりと納得はしても驚きはしない。敷居を跨いで部屋に入ると、綺麗に並んだ机を横切って柔らかな春の日が注ぐ暖かそうな窓際の席へ。

「やっぱり、ちょっと早かったよね……」

 どうしようかな、と呟きながら背負っていた鞄を机に乗せ、一先ずその席へと腰を下ろす。そっと鞄の上にうつ伏せるように体を預け、何気なく目をやったグラウンドはこの部屋と同じようにまだ人気はなく閑散としていた。

 今日はこれから校内の至る場所で、年度が変わってから初めての委員会活動が行われる。
 此処、図書館の一室を集合場所に指定する委員会といえば当然ながら図書委員であり、多岐にわたるこの学園の委員会の中では最も一般的な委員会といえるものの1つだ。そして、私が去年から好んで所属している委員会でもある。
 私のクラスのHRが少し早めに終わったせいかまだ誰も来ていないが、この静かな談話室もじきに子供特有の高い声で賑わうことになるだろう。

(若は……美化委員、だっけ)

 氷帝では3年から委員会への所属を義務付けられるので、若にとって今日は本当に初めての委員会活動ということになる。きちんと上級生と接する場に出るのは今回が初めてのはず。この時間ではまだ活動場所には行っていないとは思うが、人見知りの気がある弟のことを考えると今から少し心配だった。目上の人間に対する礼儀は幼い頃より叩き込まれているので言葉遣いなどの面は心配していないが、若にはちょっとした悪癖があるのだ。
 若は基本的に、自分が認めた人間以外が自分の領域に入り込むことを好まない。元々人付き合いに関しては消極的な性質である上、警戒心が強いので急な接近には戸惑いを覚えるのだろう。馴染みのない人間に急に歩み寄られると、咄嗟に悪態をつくことで相手から距離をとろうとするのだ。
 好意的に接してきた相手にそうして悪態をついてしまえば、反感を買ってしまっても仕方がないというもの。そんな悪癖のせいもあって、若の交友関係はあまり広くないようだった。それでなくとも若はその率直過ぎる発言から円滑な人間関係を築くのを苦手としているので、こういった新しい環境に慣れなければならない場面ではどうしても心配になってしまう。

 大丈夫かなぁ、とここにはいない弟へと思いを巡らせて、ふうと軽く溜め息吐く。私がこんなふうに思い悩んだところで何が変わるという話ではないが、心配なものは心配だ。人に言えば過保護だと笑われそうだけど。

(まだ過保護なくらいに構っても、許される年齢だよね)

 若も、まだ8歳だもんね。
 ポツリと呟いた言葉は特に声を張った訳でもないのに、1人きりの空間では妙に響いて聞こえる。それに何だか少し居心地の悪さを覚えて、私は伏せていた体を起こしてカタリと席を立った。まだ他に人も来ないみたいだし、次に読む本でも探してようかな。ちょうど今読んでる本も、そろそろ終わりそうだったし。
 そうと決めれば荷物はそのままに、私は談話室を出て何度目かも分からない図書館探索へと繰り出した。



 私はこういう、古本屋や祖父の書斎のように蔵書が保管されている場所にいるのが好きだった。部屋を埋め尽くす本達が音を吸い込んだように、静寂に満ちた空間。どこかひんやりとした、独特の空気。古い紙やインクの微かな匂い。そういう場所にひっそりと腰掛けて、静かに本の世界に浸るのが堪らなく好きだった。
 氷帝の綺麗に管理された図書館は検索用のパソコンもあって便利で使いやすいが、綺麗すぎてそういった古い本の匂いを感じられることは少ない。でも入り口からずっと離れた奥の方、借りられることがほとんどない古くて分厚い本ばかりを押し込めた本棚の一角まで行けば、そういう匂いも十分に感じられた。ちょうど良くその近くにひっそりと置かれているソファーは、私の中では密かに指定席のように扱われていたりする。
 入学当初から通いつめているこの場所は、間違いなく学校の中で私が一番好きな場所だ。隅から隅までぎっしりと蔵書が詰まった背の高い本棚が何十と並んでいる様は壮観で、その本棚の間を歩くだけでも退屈しない。4年生になった今では、利用頻度の最も高いだろう海外文学が並ぶ棚でなら、検索いらずで必要な本を探し当てられる自信があるくらいだった。

(まあそのせいで、少しクラスで浮いている感じがするのは否めないけど……)

 入学したばかりでまだ幼い無邪気さが目立った1・2年生の頃はそう問題もなく過ごせていたが、4年生ともなるとそうもいかない。図書館に入り浸り、教室でも貪るように分厚い蔵書ばかりを読み漁る私は、同級生から見れば少し異質だろうことは自分でも分かった。その上私は色々な習い事にしているため部活に入ることも放課後に同級生と遊ぶこともせず、授業が終わるや否や帰宅するような日々を送っている。特別に仲良くなるようなタイミングは、ほとんどないと言えるだろう。
 別に私が同級生達との関わりを面倒に思っている訳ではないし、彼等も特別私を避けたりしている訳ではなく普通に話したりもする。ついでに言えば自分は一応学年トップの成績(まあ自分の本当の年齢を考えれば当然と言っていいかもしれないが)を維持しているので、何かと頼られることも多い。しかし一度なんとなくできてしまった距離は、これといった切っ掛けがある訳でもなくできてしまったがために縮めることも難しい。そして自分でもそれを仕方がない、なんていう一言で済ませてしまっているものだから距離なんて縮まるはずもなく。
 こんなことじゃ若のことも言えないか、とも思うが、それでも私には気兼ねなく接することのできる2人の友人がいた。彼等との親密な付き合いがあるから、私にとってはクラスで少し浮いてしまっているという現状も特に気にするほどのことではないように感じられるんだろう。

(若にも、そういう……蓮君やハル君みたいな、そんな友達がいるならいいけど)

 いるのかな。いるといいんだけどな。それとも、私が知らないだけでクラスの子とも問題なく仲良くしてるのかな。
 そんな風につらつらと考えながら本を物色していると、カチャンと入り口の方から小さくドアの音が聞こえてきた。他にも委員の子が来たのかな、と本棚から覗き見るように顔を出せば、そこには極力音を立てないようにと殊更ゆっくりドアを閉めている小柄な男の子。一拍後にはくるりと室内を振り返った男の子と目が合って、ぱちりと大きく瞬いた彼の顔に覚えがあることに気付いたのはそれからまた一拍後のことだった。


- continue -

2010-09-13

久しぶりの更新だというのにキャラも出ず、名前変換すらなく申し訳ありません…!もっと頑張りますね…これから…。
個人的な想像では氷帝は幼稚舎も中等部も、図書室ではなく図書館。お金持ちの集まるマンモス校なのでその辺の設備はかなり充実させていて、校舎の一室ではなくきちんと独立した建物で蔵書の管理を行っていそうです。氷帝大学の図書館なんて都立図書館とかよりも充実してそうなイメージ。とりあえず幼稚舎の図書館も談話室や自習室も備え付けられてるような立派な図書館を想像して書いてます。