壁に掛けられたカレンダーが最後の一枚になってから数日。日吉家は朝から、暖かく柔らかな空気に包まれていた。色を付けるなら暖色。幸せそうな、橙の色だ。
「若、お誕生日おめでとう」
「おめでとう、若」
「若もこれでもう2歳なのね」
「早いものだな、この間生まれたばかりだと思っていたのに」
両親や祖父母からそう口々に祝福の言葉を受け、若はふにゃりと頬を緩ませる。
「ありあとー」
傍らにあるプレゼントの入った袋を柔い両腕で抱きしめながら舌っ足らずに感謝の言葉を述べる若の、可愛いことといったら。
思わず手を伸ばしてそっと前髪を梳くように撫でると、隣に座る母がふふ、と嬉しそうに微笑んだ。
「はすっかりお姉さんね。本当に、何かあったのかしら」
「確かに……去年の今頃なら、は全然若を構おうとしなかったしなぁ」
その言葉を聞いて、少しどきりと心臓が脈打った。父の言う通り、去年の私はたとえ誕生日であろうとこうして若の傍らにいることは少なく、本を読んだり自分の好きなように過ごしていた。というより、私が若を気に掛けるようになったのはつい最近のことだ。私と若が家族から2人で1セットのように扱われるようになって、まだ数ヶ月しか経っていない。
今となっては、素っ気なく接していた(むしろ“接していた”と表現していいかどうかも危うい)頃のことを思い出すと若に申し訳なくて仕方なくなる。本当に、あんな態度の私を若はよく追って来てくれたものだ。そのことを考えると、若にはいくら感謝してもし足りない。もし若がああして私を追ってくれなければ、きっと私は今も死んだように生きていた。
「わかし、おめでとう」
それから、ありがとう。
そう心の中で唱えながら、ゆっくりと、壊れものを扱うような手つきでまた若の頭を撫でた。
生まれてくれて、私の傍に居てくれて、愛想を尽かさないでいてくれて。
そんな色々な想いを込めて、緩い弧を描く小さな額へと柔らかく唇を落とす。すると若は嬉しそうにきゃらきゃらと高い声で笑って、その様子にまたじんわりと胸の辺りが熱くなった。ああ、私を生かす臓器が、若に反応している。
「ねーちゃ、おねーちゃ!」
「うん?」
ふわふわした笑みを浮かべて私を呼ぶ若に小さく首を傾げて応えると、若は小さな腕を一生懸命上下に動かしながら「おねーちゃ!」と更に囀った。それを眺めながら、数ヶ月前の私は自分に向かって一心に伸ばされるこの小さな手を何故振り払うことができたんだろう、なんて考える。若の手を拒絶することなんて、今ではもう想像することもできない。
そんなことを考えている間もパタパタと私を手招きで呼び続ける若に、どうしたの? と顔を近付ける。間近にある若の頬がまたふんわり緩むのを見て目を細めていると、若は先程の私を真似るようにちゅ、と軽い音を立てて額に唇を寄せた。
「あら、本当に仲が良いわねぇ」
「いいことだよ。若も去年より、嬉しそうなんじゃないか?」
微笑ましそうに私達を眺める家族のそんな言葉も、今の私の耳にはほとんど入ってこない。
若。ただ、若が愛しかった。
思わず衝動的にぎゅうっ、と若の頭を抱え込むように抱き締めて、ただ、内側から波紋のように広がる幸福に身を委ねる。
私は今、生きている。若の傍で、鼓動の音を響かせて。
そのことを実感しながらもう1度、今度はそのばら色の頬へと唇を落とした。
1年前の分も、君に伝えたい。
おめでとう。
ありがとう。
涙が出そうになるくらい、私は君が大好きです。
- end -
2000-12-05
日吉若、誕生日おめでとう!今年の誕生日はとりあえず幼少期の話でお祝いです。そう簡単にこのサイトをやめる予定はないので、次また若の誕生日がきたらその時は中学編で書きたいなぁ、なんて目論んでます。