「たいへいき……?」
私が確か、7歳になったばかりの頃だった。
私がいつもと同じように大人達の目には届かない場所でこっそり本を読んでいると、数分と経たないうちに若が私の居場所をつきとめた。そしてそのまま私の隣へ腰を下ろすのも、やはりいつものことだ。
「そう、“たいへいき”って読むの」
“『太平記』その後―下剋上”。祖父の部屋の本棚にあった本だ。そして今は、私の手の中にある。
読んでいる本のタイトルを尋ねられたのでそう答えたところ、不思議そうに首を傾げられた。まあ、普通の6歳児なら分からなくて当然だろう。
「なにか、いみのあることばなんですか?」
「太平記、っていうのは昔に書かれた本のタイトルなんだけど、“太平”っていうのはちゃんといみのある言葉だよ。世の中が平和なことをそう言うの」
「じゃあ、“げこくじょう”は?」
「“下こく上”は、たしか……地位や身分が下の立場の人間が、上の立場の人をしのぐせい力をふるうこと……だったかな」
辞書とかに載ってる意味は、確かそんな感じだった。文字からして『下が上に剋つ』ってことだから、多分この説明で間違っていないはず。
記憶を探りながらそう教えると、若は眉間に皺を寄せながらまた小さく首を傾げた。頭上に疑問符でも浮いていそうな感じだ。
「ん、と……つまり……自分が、自分よりもえらい人とかに勝ったりしたとするでしょ?そうしたら、それが“下こく上”ってこと……に、なると思う」
なんとか若にも分かるようにと、私なりに意味を噛み砕いてそう伝えた。でも大分噛み砕いたせいで、正確な意味を教えることができたのかちょっと自信がない。
分かったかな……?と隣に座る若をちらりと窺ってみると、「げこくじょう……」と呟きながら何やら妙に目を輝かせていた。しかし、どうかしたの?と問い掛けても若は何でもないと首を振ったので、その場は特に気に留めることもなく普段通りの読書の時間を楽しんだ。
その後若がよく『下剋上』という言葉を口にするようになるなんて、その時の私には考え付きもしなかったことである。
- end -
2009-10-20
自分に根差している精神をぴったり言い表せる言葉を見つけてウキウキの日吉家長男。
彼は3歳から下剋上に目覚めたそうですが、きっと“下剋上”って言葉を覚えたのはもっと後ですよね。