サーブだけじゃなかった


 パァン、パァン、という音で暗闇に沈んでいた意識が浮上する。そのままふと薄く目を開けると、柔らかな細い手にふわふわと頭を撫でられていることに気がついた。

「ん……」
「あら、ちゃん起きちゃった?」

 パーンって鳴ってビックリしちゃったのかな?と上から母がにっこりと笑いかけてくる。どうやら寝ている間ずっと膝枕をしてくれていたらしい。急に明るくなった視界にチカチカする目をこすりながら起き上がると、そこは埃っぽいグラウンドだった。
 …………え、どこ?

「えと……おかあさん、ここ、どこ?」
「うん?忘れちゃった?お母さんと一緒にお兄ちゃんの応援に来たのよ」
「…………、あぁ!」

 そうか、運動会!そうそう今日は氷帝学園初等部の運動会です。秋の大運動会ってやつ。
 ちょた君が初等部に入って初めての運動会なので張り切って応援に来たはいいが、午前中に張り切りすぎてお昼を食べた後に寝入ってしまったらしい。ということはちょっと待て、もしかして見逃してないだろうな自分!?

「おかあさん、ちょたくんは!?ちょたくん出ちゃった!?」
「そんなに慌てなくっても大丈夫よ。ちゃんが寝てる間はお兄ちゃんが出るのはなかったから」

 でももうすぐお兄ちゃんの出番よ、と言われ入場門(どうみても業者に頼んだとしか思えない立派過ぎるシロモノ)の方を見てみるとそれぞれの組の色のはちまきをした子供達がぞろぞろと並んでいた。
 ああ良かった、見逃したかと思った。来年からは参加する側だからゆっくり見られるのは今年だけなのに。

「あ、ちょたくんはっけんー」
「あら、もう見つけられたの?ちゃんはおめめが良いわねー」

 だって、彼銀髪ですし……。そんな兄を黒髪ばっかの人ごみから探し出すのはそんなに難しいことじゃないですよお母さん!顔は見えなくてもあの群れの中からちょこっと飛び出てる銀色がちょた君のものであろうことぐらい分かりますって。
 まあ確かに普通の学校と同じように赤白帽子でも被っていれば分からなかったかもしれないが、氷帝学園の場合は三つの組に分けるため使用するのは帽子ではなくはちまきなので、ちょたくんの銀髪もばっちり分かるのである。なんでも、氷帝は生徒数がその辺の学校と比べて桁違いなので二組では分け切れないらしい。
 それにしてもそれぞれの組の名前がルージュ・ノワール・ブランというのが実に氷帝らしいというかなんというか。普通に赤・黒・白じゃ駄目なの?とか、小学生にはフランス語分かりにくくない?とかそんなツッコミはしちゃいけないんだろう、きっと。

「次でお兄ちゃんが出るの最後だからいっぱい応援してあげようね」
「うん!」

 勿論言われずともそのつもりである。今回はこの運動会最後の種目、所謂大トリ(洒落ではない)である選抜リレーを見るのが一番の目的なのだ。
 なんでも各学年から組ごとに2グループずつ選抜して学年別に競うらしいが、なんと我が家の長男ちょたくんが持ち前の運動神経の良さから選手に選ばれたのである。しかもアンカー!これだけ人数のいる氷帝で選抜の選手に選ばれて尚且つアンカーって普通にすごいと思う。だって三組で2グループずつ選出されるってことはアンカーっつったら学年で6人しかいないのに!!すごい!うちの兄すごい!
 私は適当に人に笑われない程度の地味なタイムでしか走れない一般的な運動神経の持ち主なので、選抜リレーの選手なんて軽く尊敬ものだ。まあ、わざわざ人前で走りたいなんて考えたこともないのも事実なんだけど。

「やっぱり1年生からやるのかなー」

 小学生の運動会で一番見応えがあるのはやっぱり最高学年の選抜リレーだと思うし、順当に考えて下の学年からだろう。2年とか3年とか中途半端な学年から始めることはありえないと思うし。それじゃあちょた君の出番ってすぐなのかな?

「そうみたいね。ほらちゃん、お兄ちゃんが今真ん中に向かって行進し始めたの分かる?いち、に、って」
「うん、あそこだね」

 トラックの中央に向かって進み始めた一際小さな列の中で、綺麗な銀色が日差しを受けてきらきらしている。何といってもうちの兄は髪色は銀色だ。そう簡単に見失うことはないのである。
 そんな感じでちょこちょこと会話しつつ大人しくスタートを待っていると、暫くして入場行進の音楽が止んだ。ついに始まるか!と身を乗り出すようにしてトラックを見てみれば、スタート位置にはカラフルなバトンを持った生徒達が斜めに並んでいた。スターターがピストルを空に向けパァンと小気味良い音を響かせ、一斉に走り出した子供達にわっと声援が上がる。

「ちょたくんてブランだよね」
「そう、白いはちまきしてる子達と一緒の組ね。それであの青い棒を持って走ってる方がお兄ちゃんのチームなんですって」

 ほう、青いバトンか。
 青、青、と小さい背を精一杯伸ばしてトラックを見渡すと、前から四番目を必死に走っている青バトンの女の子が。頑張って!まだいける!挽回できるよ!女は気合だお嬢さん!!
 幼児がそんな応援をしたら明らかに変なので心の中だけで叫んでみるが、順位は思うように上がらないままバトンは次々と選手の手に渡っていく。

「もうちょっとでお兄ちゃんの番ね」

 そう、もうちょっとでアンカーの出番だ。つまりうちのちょた君が走る。
 それまでにもうちょっと差を縮めてくれ!と祈ってみるが、ついにちょた君にバトンが渡った時の順位は3位というちょっと微妙なものだった。前にいる走者との距離は多少開いているものの、抜かせない程度ではない。が、1位を狙うとすればちょっと厳しいかもしれない。
 バトンを受け取ったちょたくんは徐々に差を縮めるが、流石選抜リレーといったところか、相手の子も中々に速い。コーナーを曲がり、ゴール付近に陣取っていた私達のシートの方へ向かって猛然と走ってくる。抜けそうで抜けない、なかなかに見応えのある勝負になっていた。

「ほら、ちゃんも応援してあげようね。お兄ちゃん頑張ってー!って」
「うん!」

 大声出すのちょっと恥ずかしいとか言ってられないよね。やっぱりどうせなら一位を獲って欲しいし!お母さんにも促されてることだし、久々にお兄ちゃん呼びしてみよう!
 愛すべき兄のためにさあ応援だ!と気合を入れて肺いっぱいに大きく息を吸い込む。

「おにいちゃん、がんばってーー!!!」

 そう叫ぶと、ちょた君がトラック脇に座る私を振り返った。バチリと目が合う。
 ああ、駄目、振り返らないで走って。そう思った瞬間。



 兄は、音の速さを超えました。










Afterword

妹が見てくれてると分かれば、負けるなんて格好悪いとこ見せるわけにはいかない兄心。
妹が応援してくれるなら彼は何倍もの力を出せます。でも、ひたすら力だけです。この場合ただの短距離走なんで大活躍みたいな感じになってますが、色々な要素が必要なスポーツではその限りではないでしょうね。
2009/03/13