よくある放課後
「うーん、今日も平和だなぁ」
のってりと膝の上に倒れ伏す少年の髪を撫でながら、木陰の隙間から降り注ぐ陽光に目を細める。
氷帝学園の幼稚舎に通うようになって早二年。幼い子供達が使うにしては些かだだっ広過ぎる学園にも大分慣れた。まだ使ったことのない教室や行ったことのない区画も多いが、それでも校内の地理はかなり把握できているはずだ。今年の春にはめでたく三年に進級し、二ヶ月ほど経った今では新しいクラスにも中々馴染むことができたと思う。
そうしてそろそろ一週間の生活サイクルも決まってきたか、という私の日常に、最近になってまた新たな変化が訪れた。
私の膝に頭を乗せ四肢を豪快に投げ出して眠る、この少年である。
愛らしい顔にくるくると毛先のカールした金髪、という人が天使と聞くとまず思い浮かべるような容姿をした彼に初めて出会ったのは数週間前のこと。
その日の放課後、春の陽気に誘われてふらりと立ち寄った中庭でうとうととまどろんでしまった私が目を覚ますと、今と同じようにこの受胎告知とかしそうな少年が勝手に人の膝を借りていたのだ。そんな行動に出る人間がいるなんて思いもしなかったので、あの時は流石にびっくりして暫く固まってしまったものでる。
それからというもの、こうして天気の良い日に中庭で日向ぼっこしていると何処からともなく少年が現れるようになった。そしてこのいつも眠たそうにしている少年が芥川慈郎という名前であることを知ったのは一週間ほど前で、その芥川慈郎が『確かテニプリのキャラではなかったか?』ということを思い出したのは三日前のことである。
9年も前に偶に読んでた漫画のことなんてもううろ覚えもいいトコだってのに、よく思い出せたよなぁ私。
……それにしても、熱い。太腿が。
「どうしよう、右足だけ汗かいてきた……」
年度が変わってから二ヶ月。つまり今は6月、暦上は既に夏である。しかし夏といっても初夏なのでまだそこまで暑いという訳ではない。
今日なんかは暑くもなく寒くもなく、適度に雲も風もあって庭での転寝には絶好の気候だ。だからこそ放課後にまたこうして木陰でうとうとしちゃったりなんかしていた訳だが、この膝の上のジロー君が問題だった。
今私の右足にはジロー君の後頭部がピッタリとくっついているため、さわさわと髪を揺らす涼しげな風も意味を成さない。しかも寝ているせいかジロー君の頭自体が熱を持っていて相当熱い。お前は赤ん坊か!
「ジロー君ジロー君、ちょっと起きてー」
「…………」
「おいこら、あくたがわ!」
「……ん゛ぅ」
ぎゅう、と鼻を摘むと流石に苦しかったのか、ゆるゆるとジロー君の瞼が重そうに開いた。
「あ゛ー……ちゃん、だぁ…………」
「いやいや、寝ないで。寝直さないでジロー君」
「ん゛ー……」
私を認識した途端また落ち始めた瞼を指でカッと見開かせるが、ジロー君は頑固に寝ようとする。
頼むからせめて左足に移動してくれ!右だけ汗でスカートの色が変わってしまう!
「ジロー君、移動しよう?ね?場所だけ変えたらまた寝てもいいから」
「う゛ー、ねういー……」
ねういー、じゃねぇ!カワイコぶりやがってこんちくしょう。可愛いじゃないか!
あんまり可愛いのでちょっと絆されそうになったが、そうもいかない。絆されたらスカートが丸く変色してしまう。頑張ってゆっさゆっさと体を揺すり続けると、漸く観念したジロー君がむくりと起き上がった。
「もー……ちゃんいじわるい……」
「意地悪かったらとっくに叩き落してるよ」
膝を貸してあげてるのになんで意地悪呼ばわりされなきゃいけないんだ。失礼な。
もそもそと左側に鈍い動きで移動するジロー君を軽く睨むも、眠そうに目を擦るばかりで全く気付かない。まあ、期待はしてませんでしたけどね。いいよいいよ、好きに生きなよもう。
こてん、と再び私の足の上に頭を置いたジロー君はすぐに寝息を立て始める……と思ったのに、何故か眠そうな目を伏せることなくごろと寝返りを打ってこちらを向いた。
「……どうかした?寝ないの?」
「んー、ちょっと起きた……」
珍しい。今までは毎回いくら寝たってまだ眠いまだ眠いってごねてたのに。
薄く目を開いてぼんやりしているジロー君を眺めていると、不意に手を伸ばしてきた。
「ちゃん、髪ふわふわー」
「いや、間違いなくジロー君のがふわふわしてると思うけど」
「俺のほーがくるくるだよねー……ちゃんはゆるゆるー」
私の髪をくるりと指に巻きつけて弄びながらへらっと笑うジロー君の瞳はやはり眠そうだ。
まあ確かに、私よりはジロー君のがくるくるしてるかも。私の髪はお母さんに似て緩くウェーブしているが、くるくるとまではいかない。多分それなりに伸ばしてるからウェーブが緩くなってるのもあるんだろうけど、同じ髪質で短髪のちょた君もジロー君ほどクセはついてないし。
「ちゃんアメなめる?」
ジロー君はパッと私の髪から手を離して唐突にそう聞くと、答えを待つことなく「はい、あめー」と握り拳を私の目の前に突き出してきた。ホントに突然だ。しかも咄嗟にそれを受け取って、何味?と尋ねた時にはジロー君は既に寝ていた。なんというフリーダムさ。最早流石とでもいうべきだろうか。あまりに何もかも突然なので、この子はきちんと学校生活を送れているのだろうか、と他人事ながら心配になってしまった。
とにかく左側に移ってくれたからいいかと納得し、右手に残ったいくつかの飴を観察する。多分色からして赤はイチゴでオレンジ色のはそのままオレンジだと思うんだけど、もうひとつの緑色の飴がメロンなのかマスカットなのか、はたまた青りんごなのか分からない。
とりあえず無難にイチゴだと思われる毒々しいほどの赤色をした飴を口に放り込むと、予想通りのチープなイチゴ味が舌の上に広がった。コロコロと舌で飴を転がしながら、ゆっくりと瞳を閉じる。
「…………何してるんだ、お前」
完全に瞼が降りきった瞬間、少し離れたところから呆れたような声がした。パッと目を開けて声のした方を向くと、そこにはスクールバックを背負った兄の友人が立っていた。
「あ、日吉君。こんにちはー」
「……ああ。で?」
「えーっと、ぼんやりしてました」
さっきのジロー君のようにへらっと笑ってそう言うと、日吉君は声と違わぬ呆れた顔をした。日吉君は?と聞くと、「俺はこれからそろばんだ」と短い答えが返ってくる。
「いいのか。早く帰らないと鳳のヤツが煩さいぞ」
「大丈夫。今日はちょた君はピアノの日なので」
私の答えに「ならいい」とまた短く答える日吉君に、「ご心配おかけしまして……」と言うとジロリと睨まれた。
いつもながら、子供なのに眼光鋭いなぁ日吉君。でも威圧感なら怒った時の国くんの方がきっと上だ。怖くなんかないんだからね!
そんなことを思っていると、日吉君は不意に睨むのを止めてフンと鼻で笑った。
「心配なんてする訳が無いだろ。お前に何かあると、アイツがすぐ俺にお前がどうしただのとわめいてきて煩いからだ」
うっとうしくて敵わない、と心底嫌そうな顔で吐き捨てながらくるりと踵を返す。
「あ、日吉君これからそろばんなんでしょ?アメいりません?とうぶんせっしゅ!」
「いい。そういう甘ったるいものは好きじゃない」
「そっかぁ、じゃあさよならー」
バイバイ、と座ったまま手を振ると、日吉君は一度だけ振り返ってまたフイと視線を逸らす。その素っ気無い態度をほとんど気にしていない自分に気付き、彼の性格にも随分慣れたんだなぁとしみじみ思った。
そのままスタスタと早足に去っていく日吉君を見送りながら、膝の上の金色をまた撫で始める。
多分、明日もやっぱり平和なんだろう。
Afterword
日吉とちょたが幼稚舎から友達っていうのはOVAの『風雲少年跡部』の設定から。
あれはボクに対してフラグを立てたんだな。そうかそうか、じゃあ使ってやろうその設定。ということで登場するのは慈郎だけだったはずが急遽日吉も捻じ込まれました。
2009/06/01