充実の日々
最近お気に入りの紅茶を傍らに、すいすいと右手に持ったレース針を規則的に動かす。糸を針の先に引っかけては輪に通し、通してはまた引っかけて。偶に全体のバランスが崩れていないか確認しながら繰り返すその地道な作業はもう慣れたものだ。糸の束は着実にその嵩を減らしていく。
「………………、出来たー!」
かんせーい!と仕上がったばかりのランチョンマットを広げ、その出来に思わずにんまりしてしまう。色々な角度から自分の作品を眺めながら、我ながら中々の出来!と自画自賛した。
鳳、9歳。今年で小学4年生。最近のマイブームは、レース編みと刺繍です!
まあ最近、とはいってもその期間は結構長くて、刺繍を始めたのは割と最近だけどレース編みに関しては5歳から続けている。とりあえず、言いたいことは一つ。幼児ってホント暇だよね!
正直言って大きくなってからの自由に色々なことができる時間を知っている身としては、周りの子供達(同い年)が虫採りやおままごとでどうしてあんなにも時間を潰せるのかが分からない。連絡帳に『協調性の面がもう少し……』なんて書かれても困るので多少参加したりもするが、「虫を捕まえて何の意味があるの?気持ち悪くない?」とか考えてしまうあたりで既にダメだ。私にも確かに存在したはずの、あの純粋な頃にはもう戻れそうにない。
そんな感じで暇を持て余していた(読書は大好きなんだけど、普段から堂々と純文学の本を読むわけにもいかないのであまり時間は潰せなかった。絵本でも面白いものはあるけど、如何せん読み終わるのが早すぎる)わけだけど、ふとお母さんがやっていたレース編みに興味を抱いたのが転機だった。
幼児らしく「それなに?それなに?わたしにもできる?」と教えを請うてやり始めてみたところ、それはもう見事ハマッた。一時期ご飯の時間も忘れるくらいハマッて、お母さん達を心配させたくらいだ。
そうしてレース編みに大ハマりしてから、趣味って良いものなんだなぁと痛感した私は色々なものに興味を持つようになった。私はこうして鳳家の子供に生まれる前も普通に学生をやってたけど、普通の子よりも読書好きっていう以外にはこれといって大した趣味をもなく。読書にしても今ほどガツガツ読む感じじゃなかったし、今思えば結構無趣味だ。
毎日の生活は基本的に学校と家の往復で、休日や放課後は適度に友達と遊んだりして、家に帰ればドラマやその時やっていた番組を適当に見て寝る。それの繰り返し。かなり他愛ない日々だったけど、死ぬほど退屈!なんてことも思ってなかったし、そんな生活にそれなりに満足していた。
でもそんな中突然不慮の事故で生まれ変わっちゃったりなんかして、17歳の思考のまま幼児として生活しなきゃならないという状況になって初めて分かった。特別好きなものがないっていうのはすごく退屈だ。それまでは一日の大半の時間を学校にとられていたから気づかなかったけど、一日中フリーで何しても良いって状況が毎日続くと嫌でも分かる。やることなんて、自分で見つけなきゃないんだ。
自分が無趣味だってことに気づいたときは、なんだか妙に切ないような気分になったものだ。私ってつまんない奴だったんだなぁ、と地味に落ち込んだというか。でもそれと同時に、それなら今度は思いっきり多趣味になってみようじゃないか!と決意したわけである。
幸い、『興味の幅を広げておくことは将来的に考えても良いことだ』と両親も喜んで協力してくれたので、私のその試みはかなり順調に進んでいる。お陰で私は9歳にして既にかなりの多趣味だ。
読書に手芸にヴァイオリン、いっぱい行くわけじゃないけどオペラ鑑賞。それに沙代子さんと一緒にお菓子作りをしたりもするし、趣味ってほどじゃないけど偶にお母さんの趣味であるガーデニングにも参加する。別荘に遊びに行く時は、お父さんについて行って乗馬も嗜んでみたり。
まあこんなに長々と語っといてなんですが、要は私が何を言いたいのかというと「私、今こんなに充実してるんです!」っていうすごくシンプルなことだったりします。
「お母さーん、見て見て!完成したよー!」
バタバタと駆け下りた先のリビングで雑誌を読んでいるお母さんを発見し、ジャーン!と効果が付きそうな勢いで緻密に作り上げたランチョンマットを掲げる。お母さんは雑誌から顔を上げて完成したソレを見ると「あら、綺麗ねー」と微笑んだ。
「うん、とっても上手。ちゃん、一人でもうこんな綺麗に作れるのねぇ。お母さん追い越されちゃったかな?」
「ほんと?あのね、自分でもコレ、かなり上手にできたかなって!やり始めてから結構いっぱい作ったからなー」
えへー、とにやけながら改めてランチョンマットを眺めつつ、今までの作品達を思い出す。
無数のコースターにテーブルランナー。ドイリーに、ティーマットに、バッグチャーム。カーテンタッセルやリースも作ったし、他にも色々。今では家中に私の手作りが点在している。
元々凝り性な方だったが、レース編みは本当にハマッてしまった。というか、日用品を自分で作ること自体に、と言った方が正しいかもしれない。今でも一番の趣味はやっぱり読書なんだけど、その次に好きなのは『手作り』だ。手作りだと凝ったものなら一つ作るのに結構時間が掛かっていい時間潰しになる、というのもあるが、やっぱり自分の作ったものを他の人が喜んでくれるのが嬉しい。それに、自分で使うにしても苦労して作ったものだと大切に使おうって気になる。手作りって素敵だ。
「これならきっとお兄ちゃんも喜んぶわね」
「うん、まあちょた君だしね。喜んではくれると思う」
にこにこと微笑むお母さんに、ハハッと渇き気味の笑いを返す。だって彼は出来なんか気にしないんだから。どんな出来栄えであっても、満面の笑みで「ありがとう!」なのだ。ちょっと調子に乗って作りすぎちゃったバレッタとかコサージュとか、絶対ちょた君が使うことはないだろうものでも「じゃあ俺が!」と喜んでもらってくれる。
そんなんだから、ちょた君の部屋はもうレース編みの雑貨でいっぱいだ。しかも何処かに仕舞ったりもしないから、もはや私の作品の展示室かという様相である。あの人なら私が「魔方陣描いたの!」なんて言いながら禍々しい文様の描かれた紙を差し出しても、きっと笑顔で壁に貼り付けるに違いない。
「ただいまー」
作り甲斐があるんだかないんだか、とちょっと溜め息を吐きたい心境でランチョンマットを畳んでいると、ガチャンという玄関のドアが閉まる音と共に耳触りの良いアルトソプラノがリビングへ届いた。「噂をすれば、ね」とお母さんが笑って、早く見せてあげるようにと私の背中を押す。
「おかえり、ちょたくーん!」
ちょた君のランチョンマットさっき完成したんだよー、と見せびらかす様にオフホワイトのランチョンマットを広げながら玄関へ走る。
「わ、ホントだ。ありがとう!すごくうれしいよ!」
そう言って笑ったちょた君の顔は、私の頭の中の想像と寸分の狂いもなく重なった。
Afterword
セレブな家庭で長年育てられたお蔭で、うちの子は教養や趣味は極めてお嬢様っぽいです。
でも感覚は庶民のままっていう……。
2009/08/19