肉より恋路 1


「…………、さっきのって、ホント?」

 四天宝寺の人達と別れてから押し黙ったまま早足で先輩達の後を追っていたちょた君は、途中でピタリと立ち止まると漸く口を開いた。いつもより低いその声は、ちょた君の今の機嫌をよく表していると思う。大抵の場面で穏やかな笑みを湛えているその顔も今は少し歪められていて、実に不愉快そうだ。多分これでも、抑えてる方なんだろうけど。
 とりあえず黙々と歩くばかりだったちょた君がやっと喋ったことに少し安堵しつつ「えーっと、さっきのって言うと……」と聞き返せば、「さっき、あの人が言ってたやつ」とちょた君はまた低く呟いた。

「……が、アドレス知ってるって」
「あー……うん。あれねぇ……」

 やっぱそのことかぁ、なんてごにょごにょ言いつつ、手に持っていた携帯へと視線を落とす。どうしようかな、なんか今これ以上ちょた君刺激すると面倒臭そうだし、誤魔化しちゃった方がいいのかな。でも一応「ホント?」なんて聞いてはいるけど、多分ちょた君だって私が本当に財前さんのアドレス知ってることぐらい予想ついてるとは思うし、逆効果な気もする。
 うんとーえっとー、と散々口篭った後、仕方ないので「今日ちょっと会った時に、なんか教えてもらったんだけど……」と正直に話すと、ちょた君は深刻そうな顔で少し俯いた。

「そうなんだ……」
「うん、まあ……成り行きっていうか……」

 うー……、なんだってこんな気まずい思いをせねばならんのだ……!!
 私は浮気した彼女かっつの、と半ばうんざりしつつも、さっきから顔を伏せたままのちょた君の様子を窺う。何だかやたらと静かなので逆に怖い。いつもなら「なんでアドレスなんか!」って感じでやいやい言ってきそうなんだけど……。
 そんなことを思っているうちにちょた君はふいに顔を上げて、「、ちょっと貸して」という一言と共に私の手を取った。いや、正確には、私の手の中の携帯を、だ。

「え?……ちょた君?」

 今までやけに静かだったちょた君の突然の行動にちょっとびっくりして、思わずちょた君を見上げたままポカンとしてしまう。ちょた君はそんな私の視線を特に気にすることもなくカチカチと携帯を操作して、数秒後にはさっきまでの沈んだ様子からは考えられないような晴れやかな顔で「よし!」と言った。パタン、と私の携帯を折りたたむと、何事もなかったかのように「はい、」とそれを私に差し出してくる。

「は……?よし、って……え?」

 何言ってんの、この人。は?え?もしかして?
 ちょた君の手から携帯を受け取り、すぐさまパチリと開いて中身を確認する。もしかして。まさか。いやいや、それはいくらなんでも。内心で一応そう否定しつつ、カチカチと電話帳を開いて。
 ざ、ざ、ざ……“財前”……“財前”…………、……。


 や っ ぱ 、 ね え 。


 電話帳の索引から『財前光』という名前が消えていることを確認して、更にポカンとしてしまう。
 この人、やりやがった。消した。人の携帯勝手に弄って、登録されてるアドレスを、無断で。え、つか、何で?確かにちょた君、財前さんのアドレスのことで不機嫌になってたけど、何勝手にデータ消してんの?これ、私の携帯だよ?ちょた君の所有物じゃないよ?なのに、勝手に、何で。

「……ちょた君……何やってんの?」
、あれはきっとナンパだよ!ああいう人にアドレス教えるのは危ないよ!」

 半ば呆然としつつそう尋ねると、さっきまでどこかに消え失せていた勢いを取り戻したらしいちょた君はいつもの、「痴漢に遭うから電車には乗るな」とか無茶なことを私に言い聞かせようとする時みたいな調子でわあわあと喚いた。
 質問の答えになってない。財前さんのあれがナンパかどうかなんて、私は今聞いてない。徐々に思考がいつも通りに動き出して、次第に頭に血が上ってくるのが分かった。人の携帯で、勝手に何やらかしてくれてんだこの野郎!

「……ちょた君、あんた、バッカじゃないの!?人の携帯で何やってんの!?」
「えっ、あの、……」
「見るだけならまだしも、勝手にアドレス消すってどういうこと!?いくらなんでも、それはマナー違反でしょ!!明らかにやりすぎ!最ッ低!!」

 なんなの、ホントに何が「よし!」なんだよ!この人私の何なわけ?兄でしょ?彼氏とかじゃないでしょ!?いや、たとえ相手が彼氏だったとしても私、人の携帯勝手に弄る人とか無理。ましてや登録してあったアドレス勝手に消すとか超無理!どういうつもりなわけ!?そういうのって、常識的に考えてホント最悪だと思うんだけど!!
 兄だからって何でも許されると思ってんのか!と頬に平手の1つでもかましてやりたいところだが、そうして内心で思いっきりちょた君を罵倒することでなんとかその衝動を抑える。ああ、くそ、でも、腹立つもんは腹立つよやっぱり!ちょた君が私に関することで色々やりすぎるのはいつものことだし、今までそういうことには色々文句を言いつつも大体許容してきたけど、流石にこれはないでしょうが!
 いや、むしろ今まで多少理不尽な言い分でも「しょうがないなぁ」なんて言いながらそこそこ受け入れてきたからこそ、余計に腹が立つのかもしれない。ちょた君、ちょっと調子に乗ってんじゃないの。私がちょた君のすることなんでも受け入れると思ってんの。なんで私だけ、ここまで干渉されなきゃならないんだ。アドレスぐらい私の勝手でしょ!私の個人情報なんだから!!

「あああ、あの、、ごめ……」

 最低、という言葉に酷くショックを受けたらしいちょた君が顔を青くしながら謝ってきたが、正直今はイラッとしかしない。自分でやっといて、今更何を謝るって言うわけ。「よし!」とか言っておいて。腹立ち紛れに「……もういい」と突き放すと、ちょた君は「そんな、……」と縋るような情けない声を出した。知ったことか、ちょっとは反省しろこの愚兄!

 それからしょげる兄のことは放って、立ち止まっていたせいでだいぶ開いてしまった先輩達との距離を埋めるべく1人でさっさと歩き始める。早足で先輩達の背を追いながら、心に決めた。

 こうなったら、絶対交換してやる。

 財前さんから別れ際に「そっちからメールしろ」と言われはしたが、分かりましたと返事をしたわけでもないし、正直なところその通りにするかどうかは微妙なところだった。だって財前さんて特に話したこともないし、ていうかその存在自体今日まで知らなかったくらいだし、急にアドレスを教えるっていうのは少し躊躇われるというか。
 まあこれを友達に言ったら「アドレスぐらい別にいいんじゃないの?あんたはちょっと貞操観念強すぎるんだって」とか、そんなこと言われそうだけど。
 とにかく私としては初対面の、しかも居住地的に今後特に関わることもないだろう人とアドレスを交換するというのは多少抵抗があることで、多分メールしない可能性の方が高かった。ちょた君があんなアホなことをしなければ。あーもう、こうなればホント意地だよね、意地。あてつけのように交換してやろう。
 それに兄に腹立ってるっていうのもあるけど、いざ本当に連絡できないって状況になるとなんかちょっと罪悪感がなきにしもあらずというか。だって財前さん以外もやたら必死に懇願してたし、ちょっと悪い気がする。後で忍足先輩から向こうの人に連絡してもらおう。

「あ、やっと追いついたのかよー」

 苛立つままにズンズンと足取り荒く歩いているうちに何時の間にか先輩達にも追いついて、それに気付いた向日先輩に「遅えぞ!」と軽く頭を小突かれた。宍戸先輩には「長太郎はどうした?」なんて声を掛けられたけど、知るかそんなもん。ホントもう、あれはもうちょっと落ち込むべきだよ。

「置いてきました。あまりに馬鹿なことしたので、ちょっと頭きちゃって」
「え?鳳を?マジで?うわー、今頃超落ち込んでそー」
「つか今から飯食いにいくんだろ?どうすんだよ長太郎」
「呼べば来ると思いますよ。それより、ご飯は全員で行くんですか?何処に?」
「焼肉だよ焼肉ー。跡部が奢るって言ってたから食べ放題だC!俺羊食べたいー」
「え、いいんですか?この人数で奢りとかそんな……」
「あー、別にええんちゃう?跡部、基本的に人に奢るん好きみたいやし。つか普段あいつの金の使い方見とると、なんやもう遠慮すんのも阿呆らしなってくるっちゅうかなぁ……」

 普段通りのなんてことない会話に少しずついつもの調子を取り戻しつつ、だらだらと歩く。いつまでもイライラしてるのは自分でも嫌だし、ちょた君の件は一旦頭から排除だ。考えるとやっぱ腹立つし。
 あ、ていうかもう晩御飯の時間か。そういえば結構お腹空いてるかも。そして自覚すると更にお腹減った気がする。焼肉とか久しぶりだなー。何食べよう。

 そんなことを考えつつ先輩達と焼肉では何が好きか、なんて他愛ないことを話していた私は、普通に食事をするだけの筈があんな馬鹿の祭典に巻き込まれるなんてこれっぽっちも考えていなかった。勿論、そんなところで四天宝寺の人達と再会する、なんてことも。









Afterword

妹に変な虫が近づくなんて!と凶行に及ぶちょた。妹の逆鱗に触れる前までは「よし、これで俺の天使は守られた!」っていう感じであまり悪いことをした自覚がないという性質の悪さ。妹を守るための行動は正義です!可愛い妹は正義!可愛い妹を守るための俺も正義!
2010/08/01