はい、僕との恋に注目。



「ねえ、シア?」

 彼女の横顔を眺めながら、小さく名前を呼ぶ。すると、少し間をおいてから「んー……何ですか?」と、視線をこちらに向けることもなく薄い反応が返ってくる。

「うん、特に何かあるわけではないんだけどねー……」

 呟くような僕の言葉に彼女はまた間をおいて「そうですか」と返し、そしてやはり視線も一点から動かそうとしない。

「……ね、コレ、そんなに楽しい?」

 試しに問いかけてみると、今度はこくこくと小さな頷きだけが返ってきた。
 普段の彼女から考えれば随分と冷たい反応だが、何も喧嘩をしているというわけではない。それもこれも全て、画面の中で繰り広げられる若い男女の恋模様が原因だった。

 そもそもの切っ掛けは、彼女の友人であるサワちゃんらしい。まず彼女がこの恋愛ドラマにハマってDVDを購入し、その後ドラマについて語り合える仲間を増やすべく布教活動のようなことをしているのだそうで。当然彼女と親しいシアは真っ先にその標的となり、その上まんまとハマってしまったというわけだ。それからというもの、シアは家に帰るとすぐにテレビに釘付けの状態で。
 そして今日も、シアは僕よりも画面に映しだされる架空の恋愛に夢中らしい。こんな創作物に胸を高鳴らせるくらいなら、恋人である僕との愛を深めた方がよほど有意義だろうに。

 初めは僕も、そんな彼女を隣で見ているのも楽しいものだと思った。主人公が恋に心を弾ませるシーンでは同じように頬を緩ませ、恋人と喧嘩をするシーンでは不安そうに顔を曇らせ、互いに想い合いながらもすれ違ってしまうシーンでは切なそうに眉を下げて。感情を素直に表に出すシアは可愛くて、ドラマ鑑賞に付き合うような素振りで僕はずっと彼女を眺めていた。
 でもそれも初めのうちだけで、今はもう複雑というか正直言ってつまらない。集中して見ているところを邪魔をするのも気が引けてあまり声もかけられないし、たまに話しかけたとしても返ってくるのは生返事ばかり。一緒にいるのにそればかりでは、流石に不満も出てくるというもので。

(そろそろこの不満を訴えてもいい頃だと思うんだよね)

 十分な時間、僕は待ったと思う。だってこのドラマ鑑賞ももう2巡目だ。一応シアだって結末までは見ているわけだし、そろそろ僕の方に目を向けてくれてもいいはず。

「……ん、ちょっと、何ですかイッキさん」

 思い立ったら即行動。手始めに膝の辺りに置かれていたシアの右手を取ってちゅ、と口付けると彼女も流石に僕の方を振り返った。けれど大事なシーンを見逃してしまうとばかりにチラチラと画面に視線を送っていて、返事はやはりおざなりだ。
 それなら、と彼女との距離を詰め、今度は首筋へと軽く唇を落とす。きゃっと耳元で上がった悲鳴は無視して、更に強く唇を押し当ててきつく吸い付いた。

「ちょ、もう!イッキさん!」
「……だって君が構ってくれないから。ね、そんなに楽しい?あのドラマ」

 距離を取ろうと懸命に胸を押し返すその腕を捕らえて、手の平に唇をつけながら「好みの男でもいるの?」と尋ねればシアは擽ったそうに身をよじる。

「別にそういうのじゃないですよ……!」
「そうかなぁ……サワちゃんと誰がカッコイイとか話してなかったっけ?ほら、電話でさ」
「だから、それはサワが言……ひゃ!」

 それはサワが言ってたことで、私は別に。
 おそらく彼女はそんなようなことを言おうとしたんだろう。だけどその先をシアが口にする前に、手への口付けを甘噛みに変えて邪魔をする。
 別に彼女は純粋にその話に引き込まれているだけであって、特に目当ての俳優がいるわけではない、ということぐらいは僕も知っている。ただつれない恋人に難癖をつけているだけなんだから。

「あーあ、僕傷付いちゃったな。可愛い恋人が、僕ってものがありながら他の男に夢中になってるなんて……」

 わざとらしく切なげな声を作って、思ってもいない言葉を吐きながら徐々に彼女の方へ重心を移動させる。そのままどさりと押し倒されたシアも、笑いの滲んだ声音には気付いたらしく「イッキさん……!怒りますからねっ」と眉をつり上げた。

「怒るなんていわずに、慰めてよ。傷付いたって言ってるじゃない」
「何言ってるんですかもう……!」
「君のせいで傷付きました。だから責任持って慰めて」

 彼女の顔の横に手をつき、覆い被さるようにして顔を寄せる。鼻先が触れそうな距離で翡翠の瞳を覗き込みながら、ね?と囁くように懇願して。
 それと同時に片手でするりと腰のラインをなぞれば、シアも流石にまずい展開であることに気付いたらしい。懸命に僕の腕から逃れようと今更ながらに抵抗を始めた彼女に、つい笑いが零れる。

「もう……!イッキさん絶対傷付いてなんかないでしょ!顔が笑ってますっ」
「そんなの分からないじゃない。心では泣いてるのかもしれないよ?」
「嘘!嘘ですそんなの!」
「酷いな、全否定?そういうこと言うと僕もっと傷付いちゃうんだけど」

 そう嘯きながら首筋に顔を寄せて、戯れるように耳に口付け、吐息を送り込んで。耳たぶに柔らかく歯を立てながら脇腹から腹部にかけてそっと指を滑らせると、囲い込んだシアの体がふるりと震えた。

「や、ちょ……待って下さい、イッキさん……!」
「シアが慰めてくれないからだよ。ね、ほら、慰めて?」

 耳の軟骨の辺りに唇を触れさせたまま囁いて、ついでにその輪郭を舌で辿ってやれば、ひゃう!とまた上がる小さな悲鳴。それから慌てたように胸を押し返してくる力にひとまず大人しく従って、少しだけ、互いの顔がきちんと見える程度に距離をとる。

「な、慰めるって、どうやってですか……!」
「うーん……そうだなぁ、シアからキスするとか?してくれたことないよね、シアからは」
「あ、う……確かに、そうですけど」
「うん、じゃあそうしよう。簡単だよね?」

 はいどうぞ、と笑みを浮かべる僕にシアは心底困っていますというような顔をするけど、僕としては相当手加減した要求だと思う。別に、本当にそういう意味で慰めろと言っているわけでもないんだし。
 とはいえ、やはり恥ずかしがり屋のシアにはそれでも難しいことらしい。困り顔で躊躇いがちにちらちらと僕を見上げるばかりで、中々行動に移すことができないでいる。

「……別にできそうになければそれでいいよ?代わり僕が勝手に慰めてもらうだけだから。……ね、そろそろベッド行こうか?」

 身体に這わせた指先をまたするすると彷徨わせながら、どうする?と決断を迫ればシアはびくりとまた体を震わせて、「ちょ、ちょっと待って下さい!」と僕から距離をとろうと躍起になった。懸命に腕を突っ張ろうとしているのは分かるが、やはり男女の差があるのでそれを押さえ込むなんてことは造作もない。シアは女性の中でもどちらかといえば非力な部類なので余計にだ。
 逃がしてはもらえないことが分かったのか、シアは抵抗をやめてへにゃりと眉尻を下げながら窺うようにして僕を見上げる。

「……したら、絶対離します?」
「うん、離す離す。嘘は吐かないよ」

 安心させる意味で口元に薄く笑みを引きながらそう返すと、シアは少し睨むように僕を見上げながら「絶対ですからね」と言質をとった。僕を見据えるその翡翠は薄っすらと潤み、虹彩がゆらゆらと揺れて輝いている。

(ちょっといじめ過ぎたかな)

 おそらく目尻の辺りに僅かに光る雫は羞恥からくるものと、それから僕の手で生理的に引き出されたものの両方なんだろう。ごめんね、と心の中で小さく謝る。でもその一方で可愛いなぁなんて考えていると知られたら怒られるだろうか。

 シアからのキスを待ちながら、うろうろと逃げ惑うその瞳を覗き込む。艶々していて、甘そうで、口に含んだら溶けてしまいそうだ。特に甘いものが好きというわけでもないくせに、美味しそうだな、なんて思ってしまうのは何故だろう。
 じっと見つめていてはやりづらいだろうことは分かっていたが、顔を真っ赤にして焦る姿も可愛くてつい見つめてしまう。頬も美味しそう、なんて馬鹿なことを思っていると不意に目の前を覆われ、その間にちゅっと柔らかな感触が与えられた。僕の、左の頬に。

「ええー……頬?」
「……どこにするって、指定はなかったじゃないですか」
「うーん……まあ、それはそうなんだけどね」

 ほっぺたでもキスはキスです、とシアは赤い顔のまま唇を尖らせてそう言い張る。

「……しょうがないから、今回は負けとこうかな」

 これでいいだろうと上目遣いで懸命に訴えてくる様子に絆されて、小さく溜め息を吐きながらそう返すとシアはあからさまにほっとした様子で息をついた。
 その様子がなんだかおかしくて、「今はもうもっと凄いこともしてるのに、まだ恥ずかしいの?」とわざと耳元で囁けば、シアの頬は予想通り更に紅潮していく。その途端、どんどんと胸に振り下ろされる小さな拳と、ばか!という罵声。ああ、可愛くて堪らない。

「ああ、でもねシア」
「はい?」
「あんまり僕の事放っておくようだと……」
「……ようだと?」

 僕、拗ねて今度こそ凄いことしちゃうかも。
 にこりと意識して作り出した満面の笑みと共にそう呟けば、恐る恐るという感じで僕を窺っていたシアは情けない顔であうう、と小さく呻いた。

「だから、ちゃんと僕のこと見て、構ってね」
「…………気をつけます」
「うん、そうして」

 最後に僕の方からきちんと唇へのキスを贈って、約束通り拘束をとく。
 今まで背にしていたテレビにちらりと視線をやると、ちょうど本編が終わりキャストロールに入ったところだった。空しく流れるその映像に優越を感じる自分は、なんて狭量で愚かなんだろう。
 でもまあ、恋は人を馬鹿にするっていうし、なんて開き直りながら僕は傍らのリモコンへと手を伸ばし、見る者もいない無意味なそれをぷつりと断ち切った。





(そんなドラマ見なくても、僕がドキドキさせてあげるから)

ツイッターの診断『お題出しったー』より
お題「テレビの前で泣きそうになりながらほっぺにちゅーしてるイッキ主」