砂糖菓子よりふわふわ甘い



 お土産です、という言葉と共に手渡した白い箱。それを覗き込んだ撫子がわぁ、と感嘆の声を上げたのを視界に納め、円は満足そうに少しだけ口角を上げた。

「どうしたの、これ。凄く綺麗……」

 うっとりとした様子で零された撫子の呟きに、円は「そりゃそうでしょ、央が作ったものなんですから」と返しながら然もありなんと頷く。普段と同じように話したつもりだったが、その声は自然と得意げな響きを帯びたような気がした。撫子がこそりと笑ったところを見ると、おそらくそれは気のせいでもないのだろう。

「へえ、央が作ったの。これ飴細工でしょう?央ってこういうのも上手だったのね」
「それこそ当然です。央は調理に関することだけは万能で完璧ですからね」

 何を今更と言うように淡々とそう言えば、撫子は「そういう言い方は相変わらずよね」とその笑みに少しの呆れを滲ませる。大好きなくせに、という彼女の言葉に「弟として兄を尊敬しているだけです」と言い返すと、思った通り撫子は呆れの色を濃くした。それでもやはり微笑んだままなのも、円の思った通りだったが。

「それにしても本当に綺麗ね。飾りに使うの?」

 改めてその箱の中身をしげしげと眺めながら、「流石央だわ」と撫子は感心したように溜め息を零す。
 央が手ずから作ったその飴細工は、みな一様に美しく咲き誇る可憐な花を象っていた。マーガレットにガーベラ、八分咲きの赤薔薇。白薔薇の方は五分咲きだったりと、実に芸が細かい。
 料理のことに関してはどこまでも凝り性ね、という撫子の呟きは央を知る者なら誰もが同意するものだろう。

「今度少し大きめの仕事が入っているそうで、その時に使うらしいですよ。それはその試作品だそうです」
「え、これで試作品なの!?」
「まあ、そうは言ってもこれでほぼ決まりだと思いますけどね。少し手を加えるくらいはするかもしれませんが」

 一応完成品ではないってだけですよ、と言いながらおもむろに箱から1輪のガーベラを取り出し、くるりと回す。円の指先で翻る鮮やかな紅に目を細める撫子に、どうぞ?とそれを差し出すと、撫子は驚いたようにパチリと目を瞬かせた。

「食べるの?」
「それはそうでしょ。飴ですよ、これ」
「まあ、そうだけど……。でも、ちょっと勿体無いわ。こんなに綺麗なんだもの」

 惜しみつつもガーベラを受け取り、円と同じようにくるりと回す。硬質なそれは照明の光を反射して、撫子の手の中できらりと輝いた。
 いつだって央の作る菓子や料理は宝石のように綺麗だ。食べ物というより芸術品に近いものがある。食べてしまうのが勿体無い、という撫子の言葉は、いつものことと言えばいつものことだった。

「ちゃんと食べて下さいよ。央が折角作ったものを無駄にする気ですか」
「分かってるわよ。でも飴だし、ちょっと置いておくぐらいなら平気じゃない?」

 少しの間くらい取っておきたいわ、と渋る撫子に円ははあ、と大袈裟に溜め息を吐くと「仕方ないですね」と小さく呟いた。それを了承と受け取ったのか、撫子が満足そうにふわりと笑う。
 そんな撫子の笑顔を視界に収めつつ、円は撫子の手元へと手を伸ばすとその花弁を摘まんで容赦なく指先に力を込めた。途端に響いたパキッという乾いた音に撫子は一瞬きょとんとしたあと、「ああ!」と彼女らしからぬ大声を発した。

「ちょっと円、何してるのよ!」

 円の指先にある鮮やかな紅の欠片を目にしてむっとした顔で睨み上げてくる撫子を構うことなく、摘まんだ花弁を舌の上に乗せる。飴細工は言ってしまえば煮詰めた砂糖の塊なので、当然ながら甘い。控えめな甘さを好む円はそれに少し眉を顰めながら、素早く撫子の腰を攫って体ごとその唇を引き寄せた。

「ちょ、まど、ん…ぅ……!」

 慣れた様子で撫子の唇を食み、歯列を抉じ開けてそのまま花弁を送り込む。互いの舌を擦り合わせるようにして撫子の唇を味わっているとそれは次第に溶け始め、シンプルな甘さが口内に広がった。
 甘い。こうするとより甘みが強くなるように感じる、というのは馬鹿げた考えだろうか。飴細工の飴は添加物を入れると上手く固まらないため余計なものは含まれていないはずなのに、何か果実のような香りがするような気さえした。

「っ、は……も、なんなの……!」
「ちゃんと食べて下さいよ。その辺に飾っておくような真似しないで下さい、衛生的によくないんで」

 親指で軽く口の端を拭いつつ「飴とはいえ一応食品ですからね」と言ってやれば、撫子は手の甲で口元を押さえながら「だからって、何で急にこんな……」と恨みがましそうな目でじとりと睨みつけてきた。
 しかし微かに紅潮した頬のままそんなことをされても、円にしてみれば可愛い人だなとしか思えない。必死に睨みつけても、身長差のせいで撫子のそれは基本的にただの上目遣いにしかならないのだ。

「撫子さんが食べようとしないからじゃないですか。ほら、そんな顔してないで……もしかして撫子さん、ぼくのこと誘ってます?」
「なっ……そんなわけないでしょ!馬鹿なこと言わないで」

 腕の中に収まったままだった撫子を更に引き寄せ、耳元でわざとらしく囁く円に撫子はまたじわりと頬を紅潮させる。それは羞恥によるものか、それとも怒りによるものか。おそらくその両方だろうな、と思いながら円は「はいはい、すみませんでした」と言葉だけの謝罪を口にした。

「はいはい、って……その言い方、全然悪いと思ってないでしょう」

 じろ、と再び不満そうな視線を向けてくる撫子に「そんなことありませんって」と適当な言葉を返しながら、その手から飴細工を抜き取り他の花々が咲き乱れる箱の中へと戻す。
 その際にパキリとまた花弁を1枚手折ると撫子の口からまた「あっ……」という声が零れたが、そんなことは気にしない。紅の欠片を撫子に咥えさせ、再びそこへ唇を落とした。やはり、酷く甘い。
 ゆっくりと唇を離すと、目が合った瞬間に撫子は呆れたと言いたげな表情ではあ、と溜め息をついた。おそらくそれは、先程からの己の振る舞い全てに対してのものだろう。しかし「なんなのよ、もう」と少し眉を顰めつつも寄り掛かるようにして身を預けてくるあたり、自分と彼女は同じ想いを抱いているのだと実感できた。

「このくらいのものなら、後でぼくが作ってあげますよ」

 甘やかに囁かれたその言葉に、撫子は何のことか分からないという顔でその瞳を見返す。しかしすぐに驚いたようにパチリと目を瞬かせると、「もしかして飴細工?」と小首を傾げた。人の腕の中で上目遣いのまま、自覚もなくそんなことをやってのけるのだから本当に凶悪な人だ。

「……円もできるの?ああいうの」
「ま、調理に関しては央に及ぶべくもないですし、あれには劣ると思いますけどね。でもこーいう小物染みたものならぼくもそこそこできますよ。ぼくが器用なのはあなたも知ってるでしょ」

 だからそれで我慢してくれません?と微笑めば、撫子ははにかむ様に頬を緩める。しかしそんな態度とは裏腹にわざとツンとした言い方で「そうね、仕方がないから我慢するわ」と答えてみせた。
 その言い方にクッと喉を鳴らしながらこちらも「ええ、どもうありがとーございます」と返して、親指でその頬をするりと撫でてやる。輪郭をなぞる様なそれに撫子が擽ったそうにきゅっと目を瞑ったのを見計らって、隙ありとばかりにその唇に喰らいついた。
 今度は飴も何もなく、端的に言えばただの接触でしかないはずの口付け。それが先程よりも更に甘く感じられるのは、きっと彼女と自分の感情に起因するものなのだろう。





(これだったら、いくら甘くても平気なんですけどね)