柔らかな恋のときめき



 午後の授業も消化しきって、途端に騒がしくなる教室の中。後はクラス担任がやって来るのを待って、HRさえ済ませてしまえばここでやるべきことはもう全ておしまいだ。
 窓際の席で少し窓枠に寄りかかるようにしながら、もう少しで帰れるのかと撫子はぼんやりと考えていた。
 そんなことを考えていると次第に心が浮き立ってくるようで、撫子は思わずくすぐったい気分になる。このくらいの歳の子供ならばむしろ自然であろう、学校が終わったことが嬉しい、というその考えは以前の撫子にはあまりなかったものだ。

 一般的に勉強が好きだという子供はごく少数で、大抵の人間は勉強から離れて好きなことをできる、と学校帰れることを喜ばしく思うものだ。
 しかし撫子はといえば何かを学ぶという行為が決して嫌いでなく、家に帰れば宿題を済ませ予習や復習をし始めるような子供である。そうした考えとは無縁といってもいいような生活だった。
 それにもっと子供だった頃の撫子は、とにかく大人になりたがっていた。そう考えること自体が子供の証であると分かってはいても、『大人』というものへの憧憬が消せずに。
 今よりもずっと幼かった撫子は、何らかの知識を吸収する度に何だか少しだけ大人に近付けたような気分になれて、そのせいもあって余計に勉強……ひいては学校というものを好ましく思っていた節があったのだ。
 しかし、今となっては。

(あ……)

 ふと視線を向けたその先で、見慣れたシルエットを見つける。校門に身を預けるようにして立つその姿に、ふわりと自然に頬が緩んだ。
 今日は向こうの方が早かったのね、なんて小さくひとりごちながら、教師が教室に入ってくるのを横目に学用品を鞄の中へとしまい込む。手早く準備を済ませると教卓でいくつか連絡事項を話す教師へと目を向けて、心の中で「早く終わらないかしら」と呟いた。

 暫くして教師の口から「これでHR終わります」という言葉が出たと同時に、カタリと椅子を引いて立ち上がる。周りも同じようにガタガタと一斉に立ち上がる中をするりと抜けて、そのまま廊下へ。
 走ったりすることはなく、けれどいつもより速い歩調で、一直線に昇降口を目指す。

 皆と離れることになると分かっていて、それでも選んだこの高校。勿論勉学を疎かにするつもりはない。自分のため、将来のため、出来うる限り様々なものをここで吸収したいと思っている。
 けれど放課後に近づくにつれ、彼が私を迎えに来る時間が近づくにつれ、少しずつその時が待ち遠しくなってつい「早く終わらないか」と考えてしまうのだ。

 子供の頃には珍しく父が早く帰ってくる、というような時にしか経験することのなかったその感覚。それが今では毎日のように訪れる。
 そんな些細なことに穏やかな幸せを感じながら、撫子は待ち人の立つ場所へ向かってまた少し足を速めた。





(ごめんなさい、待たせたかしら?)