つまるところ、君が好き。



 円とのデートでは、高い確率で甘いものを食べる機会が出てくる。それは2人とも甘いものを好むため、食事の際にはよくデザートも頼むということも理由の一つだが、デートコースにスイーツショップ……央の店が組み込まれることが多いということも関係しているだろう。
 勿論、円だけでなく撫子も多忙な彼とたまには顔をあわせたいと思っているし、央の店でなくとも美味しいスイーツが食べられるのは嬉しい。しかし年頃の女の子としては、他にも色々と気にしなければならないものもあるのだ。つまりは、体重だとか体型だとかの問題が。

「撫子さん、決まりました?」
「ん……うーん、そうねー……」

 円の問いに適当な返事を返しつつ、パラパラとメニューを捲る。どのケーキも綺麗で、美味しそうで、食べたらきっと幸せな気分になるだろうことは間違いない。央の店だという時点で、その辺りは保証されているも同然だ。

(でも最近、ちょっと沢山食べ過ぎだと思うのよね……)

 お互いに多忙なため普段はそう頻繁に1日デートをすることなんてできないのだが、幸いなことに最近は互いの休みが重なることが多くあって、度々2人で出掛けることができている。
 それは喜ばしいことなのだが、その度に色々なお店で食事をしてしまっているのだ。円は央のように料理の道に進むことこそなかったものの、やはり英家の人間だけあって舌が肥えていて、円が連れて行ってくれるお店はいつも凄く美味しい。料理も、デザートも、凄く。
 外食というだけで普段より多くカロリーを摂取してしまいがちな上に、そんな風にして毎回デザートまで食べてしまっているのである。そんなことを続けていれば、当然体重に変化が表れてしまう。事実、昨日の久しぶりに体重計に乗ってみたところ、記憶していた自分の体重よりも少なからず増加していた。
 ううん、と小さく唸りながら、撫子は思案する。

「えーと……今日はやっぱり、デザートはよしておくわ」

 私は紅茶だけで、と告げて、宝石のような菓子の誘惑を振り切りメニューを閉じる。すると円は「へえ?」と軽く片眉を上げたが、「まあいいですけど」と呟くとそれ以上言及することもなく店員を呼び寄せ、手早く注文を済ませた。



 暫くして運ばれてきた、色鮮やかなフルーツタルト。とろりとしたシロップがかかった果物はどれも艶やかに輝いていて、見ているだけで顔が綻んでくるようだ。
 円の前へと置かれたそれを眺めて、撫子はほう、と溜め息を吐いた。が、次の瞬間にはハッと我に返り、「何をうっとりと見つめてるのかしら。人が頼んだものなのに」と自分を恥じる。それを誤魔化すように自分の前に置かれた紅茶へと手を伸ばして、ふうっと息を吹きかけた。

(ただでさえ活動的なタイプじゃないし、運動量が不足しがちなんだもの。摂取カロリーくらいは気にしておかないと)

 太るのが嫌というのもあるが、何より仮にも医者を志す身で自身の健康管理もできないというのはちょっと頂けない。そのくらいの自制もできなくてどうするというのか。
 また後で食べられるもの、今は我慢。そう自分を言い聞かせて、静かに紅茶を傾ける。しかし。

「……円?」
「なんです?ていうか人が差し出してるんですから早く食べてくれません?」
「や、早くって言われても……」

 目の前に差し出された、鮮やかな色彩。近くで見ても艶やかで、綺麗で、美味しそうで。
 一口くれるらしい、ということは分かるが、撫子は素直に口を開けることができず躊躇いがちに円を見つめた。食べたくないわけではないが、人前でそんなことをするのは恥ずかしいという思いと、折角我慢しようと思ってるのにという思いの両方が邪魔をする。
 円はそんな撫子を眺めながら暫くの間フォークを差し出したまま静止していたが、まごついてばかりの撫子に仕方ないと言うように溜め息を吐くと、少しだけフォークを傾けた。すると当然ながらそこに乗っていた生地とフルーツは、重力に従いぐらりと傾ぐ。今にも落ちそうなタルトを目の前に、撫子はそれまでの葛藤を忘れ反射的にぱくりと食らいついていた。

「はい、よくできました……と」
「…………」
「なんです、その顔。貴女が素直に食べられないみたいなんで、協力してあげただけでしょ」

 睨まれる謂れはないと思うんですけど、と悪びれもせず嘯く様子に撫子の視線は更に鋭くなるが、円がそれを気にするはずもなく。

「で、何でそんな風にもの欲しそうな顔するくせに頼まなかったんです?」
「……別に、大したことじゃないんだけど」

 体重が増えたなんて、一般的にわざわざ恋人に教えたいことではないだろう。それは一般的な女子とは少しずれたところの多い撫子も例外ではない。
 しかし言葉尻を曖昧に濁すも「けど、なんですか。大したことないなら言って下さいよ」と更にその先を促され、撫子は仕方なく小さな声で体重が増えたのだと告げた。強く拒否すれば円も引いただろうが、自分で言ったとおりそこまで意固地になるほど大したことでもない。

「……そんなことで注文を躊躇ったんですか?」
「そんなことって……一応女としては、重要なことなんだけど」
「そんなこと、ですよ。その程度の理由で央の作る菓子を食べないなんて、あなたも馬鹿ですね」

 円はフォークの先でタルトをつつきながら、これ見よがしに溜め息をついてみせる。その言葉のとおり、あからさまに人を馬鹿にした態度で。
 円のこういう態度って他の誰がするよりも腹立たしく感じるのは気のせいかしら、などと考ながら、撫子は静かに目を伏せた。少しずつ、自分の眉が中央に寄り始めているのを感じる。

「あのねぇ……、!」

 そうして流石に一言言い返そうと撫子が口を開いた瞬間、突然口内に広がる甘みと甘酸っぱい香り。思わずぱちりと瞬くと当時に唇からフォークが引き抜かれ、ついでのように口の端についたクリームを親指が拭っていく。

「…………何するのよ」
「何って、食べさせただけですよ。美味しいでしょう?」
「……そりゃあ美味しいけど……、さっき言ったこと聞いてなかったの」
「聞いてましたけど。こうすればあなたが怒るかと思って」
「は?……ちょっと、円……?」

 あんまりなその言葉に撫子は思わず眉をつり上げると、円はそれに比例するように口角を上げる。その表情に、以前言われた「あなたの怒った顔、結構好きなんです」という言葉を思い出して撫子は渋面を作った。

「……わざとなんて、益々性質が悪いわ」
「そうですね。でもあなたがそんな理由で央のスイーツを食べないと言うので、その代わりに」
「何よそれ。兄の作るものを食べないなんて許せないってこと?」
「違いますよ。それも全くないとは言いませんけど、主な理由はまあ、単なるぼくの好みというか」

 言いながらゆったりとした所作でフォークを置き、そのままの流れで紅茶に手を伸ばす。静かにカップを傾ける様子は育ちの良さを表すように品があって、現在進行形でこんな横暴な言葉を吐いている人間だとは思えないくらいだ。

「あなたの怒った顔もいいと思いますけど……ぼく、甘いもの食べてふやけたような顔してるの見るのも割と好きなんですよね」

 なのでそれが見られないなら、怒った顔でも見ておこうかと思いまして。
 円の言うその理由とやらは実に身勝手なもので、本来なら腹が立つはずだ。しかし笑みを含んだそこから紡がれるその響きは柔らかで、撫子から反論しようという気持ちを簡単に奪っていってしまう。

「これ食べるんでしたら、挑発するのはやめといてあげますよ」
「……やっぱり聞いてないでしょう、私の話」

 半分ほど残ったタルトの皿を目の前に押しやられ、撫子は眉間に皺を寄せて不服そうな顔をするも、それを押し返しはしない。そんな撫子に、円は切れ長の瞳を更に細めて微笑んだ。
 顰められたその眉も、今はもう怒りからではなく照れを誤魔化すために作られたものだということを、彼は知っている。

「いーじゃないですか、別に。ダイエットなんてつまらない理由でぼくの楽しみ奪わないで下さいよ」

 ほら、食べてください、と促されるままにフォークを手に取り、躊躇いがちにゆっくりと口に運ぶ。
 新鮮な果物の風味と、程好いクリームの甘さと、サクサクのタルト生地。央の作るそれはやっぱり美味しくて、食べていると幸せな気分にしてくれる。
 自然と口元が緩んでいくのが分かり、それと同時に円がまた笑みを深めたことにもすぐに気付いた。やはりその顔に敗北感のような悔しさを多少感じてしまうことは否めない。しかしそれもまあ良いか、と思ってしまう辺りに円への好意を改めて気付かされ、また少し悔しくなる。
 馬鹿げた感情のループを断ち切ろうと、目の前のタルトにフォークを刺す。微笑む円の視線を受けながら撫子はまた一口、彼の微笑む理由を口へと運んだ。





(私だって、円のその顔、結構好きなのよ?)

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