世界の淵で待っていて



 祐一は走っていた。踏み固められた獣道には目もくれず、目的の場所へとまっすぐに走っていた。鬱蒼と生い茂る木々を掻き分けながら、人というより獣じみた速度で。
 それでもまだ、足りなかった。

 速く。もっと速く。

 できることなら、彼女の元まで一息に飛んでいきたかった。自分の能力が幻術などではなく、慎司の言霊や真弘の風のようなものであったなら、と埒もないことを考える。
 とにかく彼は、急いで守るべき少女の元へ行かねばならなかった。行って、抱き締めてやらねばならなかった。

『シビルは死ぬ気だ』

 元は敵であった聖女は、確かにそう告げた。金の髪を風に遊ばせながら、その碧の瞳で祐一を見据えて。あたかも神の託宣のごとく。
 初めは何を言い出すのだと祐一は訝しく思ったが、すぐにハッと我に返った。自分達が置かれているこの状況では、その言葉を笑い飛ばせる要素など、ただの1つとして見当たらない。

『良いのか。お前はシビルを守るのが役目なのであろう?シビルは―――タマキは、お前のために死のうとしているぞ』

 淡々と語られる事実に全身から血の気が引いた。ザッと、その音が聞こえてくるようだった。

 珠紀が死ぬ?それも、自分のような半妖のケモノのために?

 考えただけで背筋が凍るようだった。己の死を覚悟した時より、友に“バケモノ”と呟かれた時よりも、余程強い恐怖を伴ってその言葉は祐一の心に迫りくる。

『良いのか』

 良い訳が、なかった。
 封印と玉依姫に命を捧げる守護者のために、玉依姫が死ぬなどあってはならないことだ。いや、たとえ封印のためであろうと玉依姫が―――珠紀が死ぬなどと、そんなことがあっていいはずがない。

「ッ……くそっ!」

 視界を遮る緋色に、不甲斐無い自分に、呪いの言葉を吐きながら愛しい少女を想う。
 どんな思いだっただろう。この世の終わりを背負って死ぬと決めた時、あの少女は一体どんな思いだったのだろうか。その時自分は、一体何をしていただろうか。

「…………何がっ……守護者だ……!!」

 ただ、自分のことを守っていただけだった。もう自分が傷つくのが嫌で、守るどころか遠ざけた。一歩踏み出せば、傍にいてやれば、あの少女にそんな選択をさせずに済んだかもしれないのに。
 焦燥のまま行く手を阻むように枝葉を伸ばす紅葉を力任せに引き千切ると一気に視界が開けた。

「珠紀ッ!」

 はっとしたように少女が振り向く。


 まだ、間に合うだろうか。





(己のことなどどうでもいい。この腕が届くのならば)

記憶違いが生み出した産物。
正確には珠紀が山に居たわけではなく、祐一が山に連れて行った場面。