清らかなる人よ、あなたには




 ゆっくりと、傾いでいく身体。柔らかな栗色の髪が翻るように靡いて甘い香りが広がる。
 意識が途切れる最後の瞬間、視界に映ったのは禍々しいほどの赫だった。




 ポタリと指先から何かが伝う感覚に、久方ぶりに己の思考らしい思考が戻ってくる。気付けば視界の全ては赫い色に染まり、世界はとても静かだった。

 誰も身動きひとつせず、音を立てる者など誰もいない。己の呼吸と滴る血、そして木立の間を走りぬける風の音だけが鼓膜を震わせていく。
 咽返るような血の臭い、濃厚な死の気配、折り重なり広がる肉の山。
 次第に状況を理解し始めたが、どうでもよかった。それらは俺にとっての大事ではない。

「……珠紀」

 緩慢な動きで、珠紀の元へと戻る。横たわる彼女の脇に崩れ落ちるようにして膝をつき、できる限り優しい手つきでゆっくりと抱き起こした。
 息はない。俺が狂ったように村人を引き裂いている間に、既に事切れていた。
 いや、“狂ったように”というのは適切ではないだろう。実際に気が触れていたのだ。力を振るっていた間の記憶がほとんどない。
 ただ赫く染まった両腕と、周りの惨状が俺のした事を物語っていた。

「珠紀」

 この愛しさが伝わればと、自分の持つ最大限の優しさでもって名前を呼ぶ。当然だが返事はない。
 そっと頬を撫でると、珠紀の白い肌に赫い線が走った。それを見て慌ててシャツの裾で頬を拭う。

 汚い。こんな汚い赫は珠紀には似合わない。

 しかし一度付いてしまった乾きかけの血は、シャツで拭った程度では中々綺麗にはならなかった。何だか急に悲しくなって、自分の顔がどんどん歪んでいくのが分かる。

 どうしよう、汚い。こんな汚い血が珠紀の肌に付くなんて。どうして失念していたんだろう、自分の手が、真っ赫だということを。

 ごし、と強く擦ろうとして、やめた。そんなことをしたら珠紀の肌が傷つく。
 珠紀が言っていたじゃないか。肌があまり強くないから、日焼けしたり強く擦っただけでもすぐに赤くなってしまうと。

 よく見てみれば、胸の辺りも赫く染まっていた。しかし、不思議と汚いとは思わない。
 ああ、そうか、これは、この血は珠紀のものだ。

「………………でも、似合わないな」

 夕焼けの紅、紅葉の緋色。お前に似合うアカはいくらでもあるのに。


 やはり、似合わないのだ。この赫だけは、珠紀に。





(赫く染まったこの俺も、お前に似合いはしないのだろうな)