さかずき、ふたつ



「あー、吉次だー!」
「ホントだ、吉次だぁ。何やってんだよ吉次ィ」

 舞い散る桜の下、遠くから聞こえてきた騒がしい声に盃を傾けながら思わず小さく溜め息を吐いた。
 面倒なのに見つかった。今くらいはしんみりと、感傷に浸っていたかったのに。

「あーあー、うるさいうるさい。見りゃー分かんだろ?花見だ花見」

 子供は決して嫌いじゃないが、今ばかりは煩わしいとしか感じられない。そうは思いつつも返事はしてやるんだから、俺も相当に人がいいと言えるだろう。

「へーん、桜見てたってどーせ金のことしか考えてないくせにー」
「くせにー!」
「おっ前等なぁ……。俺を何だと思ってやがるこのガキ共!つか“吉次さん”って呼べっつってんだろうが!」

 『金売り吉次』と呼ばれる俺だって、花を愛でることぐらいある。
 そう軽く怒鳴ってやるが、その程度じゃガキ共はきゃいきゃいはしゃぐばかりで一向に堪えた様子はない。

「あれー?吉次ィ」
「ホント聞いちゃいねぇな……」
「何で1人なのに杯が2つなんだよ。意味ないだろー」
「ホントだー、ふたっつー。何でだ?誰か来んのか吉次ィ?」
「…………別に何でもねぇよ」

 指摘されて、横に転がしておいたもう一つの盃を拾い指先で弄ぶ。
 あぁ、ホントに邪魔な奴等。花見くらい静かにさせやがれってんだ。

「吉次もしかして待ちぼうけー?何だよー、女かぁ!?」
「女ぁ?吉次、女ー?」
「あーもーうるせぇ奴等だなっ、たく。ほら、あっち行ってろ!」
「何だよ吉次のケチー」
「けちんぼー!」

 甲高く騒ぎながらまたガキ共が駆けていく。俺は一人、桜の下で再び酒を煽った。酒を飲む度に脳裏に浮かんでくるのは、いつだってただ一人だ。

「…………ああ、そうだよ……女だ……」

 その事実をひた隠し、戦場を駆る馬鹿な女。二人分用意しておくと、確かにそう伝えたのに。
 もう帰らない散った華。 この盃の片割れが、満たされることはない。





(あいつが馬鹿なら、俺は救いようのない阿呆だ。もしかしたらという希望を、今でも捨てきれずにいる)