君と在る幸福



「あの、千景さん……?」

 おずおずと名を呼ぶ千鶴に対し、「何だ」と返す風間は平然としていた。

「えと……私達、何時までこうしているんでしょう」

 後ろから抱きかかえるように回された腕も、絡めるように重ねられた手も、数刻前からずっとそのままである。愚問だな、と答える風間の声はやはり平然としていて、しかし聞く者が聞けば機嫌が良いのだとすぐ分かるそれだった。

「俺の気が済むまでに決まっている」

 高圧的に言い放ち、繋いだ手にぎゅっと力を込める。

「あの……」
「何だ、嫌なのか」
「いえ、そうじゃないんですけど。お仕事とか、いいのかなぁって」
「そんなことか。当然すべきことはしている。お前が気にするようなことなど何もない」

 そう言って千鶴を抱きこむとその柔らかな黒髪に顔を埋めたきり風間は口を閉ざした。
 千鶴が風間の姓を名乗るようになってから暫く経つが、風間がこうして特に理由もなく千鶴に触れることは少なくない。
 何をする訳でもなく唯々抱き寄せ手を繋いだまま時を過ごす。何がしたいのだろうと思わなくもないが、大きな一族の頂点に立っているだけあって普段多忙な人である。こうしてゆったり過ごす時間も必要なのかもしれない。なにより、共に過ごすその時間は千鶴にとっても至極幸せなものだった。

「お前の髪は、」

 暫く黙っていたかと思うと風間は急にポツリと呟いた。くん、と背後で小さく鼻をひくつかせる音がする。

「太陽のようなの匂いがするな」
「お日様、ですか」
「ああ……だが、それよりも少し、甘いか……」
「……千景さん、もしかして眠いんですか?」

 別に眠くなどない、と呟くように言う風間の声にはいつもの凛とした鋭さがない。ゆっくりと、少し間を空けて喋る様子はどこか眠そうである。
 風間は否定したが、別に眠くなっても仕方がないだろう。今は春で、日差しは暖かくて、柔らかな風は薫るようでなんとも心地がいい。そんな中自室で寄り添いながら長々と日光浴をしていれば睡魔に襲われても何ら不思議はない。

「横になられます?」
「ん、」
「膝でもお貸ししましょうか」
「いや……いい」

 このまま……と呟いたきり風間はそのまま動かなくなった。暫くすると穏やかな寝息が聞こえてくる。二人の体勢は数刻前と変わらず、寄り添い、手は絡み合っていて身動きはとれないままだ。
 今は良くとも日が落ちれば気温も下がる。このまま寝ていては風邪を引いてしまうかもしれない。

「せめて上掛けを持って来たいのになぁ」

 夕刻には起こさないと、と軽く溜め息を吐いた拍子に身じろぎすると、不意に腹部に回された腕にぎゅっと力が込められる。逃がさないと言わんばかりのその様子に、千鶴は仕様のない人と微笑んだ。





(何もない、至福の時間)