愛の戯れ



「オラァッ、ブチャ!喰らいやがレっ!!」

 Class Xの担当になってからというもの、悠里の頭を年中色々な意味で悩ませ続けている悪魔の声。
 気軽に振り向いてはいけないと分かってはいるものの、つい反射的に振り向いてしまった悠里はその途端にビシャリと冷たい衝撃が顔に走るのを感じた。

「きゃあっ!!!…………っ、き〜よ〜は〜る〜く〜ん?朝から何てことするの君はっ!!」

 いつものことだと思いつつも「化粧が落ちちゃったじゃない!」と抗議すると、やはりというか、ケケッという清春独特のソレで笑い飛ばされる。 ああもう、と不満を溢しながら顔を拭えば、清春は更に愉快そうに口の端を吊り上げた。

「子ブタが無駄に色〜んなモン塗りたくってるみたいだったからナァ。俺様が落としてやったンだよ!」
「無駄とはなんですか無駄とは!!」

 ここが学校の廊下だということなどすっかり忘れて叫ぶ悠里に、清春は不意にニヤニヤとした嫌な笑いを引っ込める。そしてそんな清春をどうしたのかと訝しむ悠里の腕を掴むと、強引に己の胸の中へと引き寄せた。

「……ンなに心配すんなよ。化粧なんかしなくったって、お前はキレーだゼ?悠里」

 いつになく真剣な顔、真剣な声音で囁かれ思わず顔が真っ赤になる。唇が近い。ドキドキと高鳴る鼓動に翻弄されながら、悠里はハッと我に返った。いけない、彼は生徒だ!

「えっ!?あっ、そ、その、清春くん……?」
「…………クッ、ヒャハハハッ!ヴァーカ!!また引っかかりやがったナァ?こンのブチャイク子ブタッ!!」
「え、なっ、ああぁーっ!ま、またからかったのね!!」

 少し考えれば直ぐいつもの性質の悪い悪戯だと分かる筈なのに、どうしてか悠里は毎回引っかかってしまう。彼の整い過ぎた顔がいけない。あの顔であんなことを囁かれたら、誰だって脳が一時停止するに決まっている。
 しかしそうは思っても直接本人にそんなことを言える訳がない。悠里は恥ずかしさを吹き飛ばすように、今日という今日は許さないわよ!と叫んだ。
 顔を真っ赤にして眉を吊り上げる悠里の反応に満足したのか、悪魔はジョートーだと口の端を引き上げ高らかに笑う。今日も今日とて、いつも通りの追いかけっこが始まった。





「……あーあ。まぁたやってるよぉ、キヨってば」

 廊下の片隅、一部始終を見ていた悟郎は溜め息をついた。全くもって素直ではない。もっとも、素直な清春などみたいとも思わないが。
 でも好きな子イジメにしか見えないソレが何だかやっぱり気に入らなくて、キヨの天邪鬼、と唇を突き出しながら呟いた。

「ん?違うか」

 自分で口にしたその言葉に幾分かの違和感を覚え、悟郎は直ぐに思い直す。
 彼は天邪鬼などではなく、悪魔だ。クラッシャーと称される、聖帝学園に住まう悪戯好きの小悪魔。

「反対のことは、言ってないもんね」

 悪魔は全くの嘘はつかない。
 悪魔はいつだって“真実”に、ほんの少しの嘘を流し込むだけなのだ。





(ブチャイクっていうのも、キヨにとっては可愛いってことだもんね)