Perfume

君の幸福を願う幸せ

君をひとりにしないと誓う



 今までも、私達は何度も手を繋いできた。でもそれは、両親の「、周助としっかり手を繋いでいてね」という言葉からくる、姉としての義務感からの行動だった。
 双子とはいえお姉ちゃんなんだから、弟のことをしっかり見ていなくちゃ。私には既に弟の世話を焼ける思考がしっかり備わってるんだから、尚更。そうして姉として弟に手を差し出すことはあっても、私自身の意志でそうしたことはなかった。

 でも、今は違う。姉としてじゃない、双子だとかそういうことは関係ない。私は“不二”という1人の人間として、“不二周助”という人間に初めて手を差し伸べている。周助は薄く目を開いたまま、差し出された手を見つめていた。その目がまたゆっくりと私に移ったところで、周助の口が震えるように小さく開かれる。

「……いっしょに、いてくれるの?」

 唇から微かに零れるような、か細い声。その声にしっかりと頷くと、周助は私が差し出した手に静かにその手を重ねた。
 聡明な周助は、感覚的に分かっていたんだろう。私がいくら物理的に周助の近くに居ても、心的距離は遠く離れていたことを。それでも手を伸ばし続けるのは、どんな気分だっただろう。寂しかったはずだし、空しかったはずだ。
 ごめんね、という気持ちを籠めてぎゅっと手を握れば、周助はにこりと微笑んだ。その顔を見て「周助の笑った顔ってこんなだったっけ」なんて思う。周助がいつも浮かべる微笑みとは、違う気がした。本当に笑ってくれた、気がした。
 私も少し微笑むと、周助は嬉しそうに笑いながら繋いだ手に力を込める。

ちゃんも、ひとりじゃ、ないね」
「…………え……?」

 安堵するような響きを持ったその言葉に、私は固まった。

「もう、だいじょうぶだよ」
「ぼくがいっしょにいるから」
「ひとりじゃないよ」
「さみしく、ないよ」

 次々と紡がれる言葉に、次第に視界が歪んでくる。ぱちりと瞬くと、頬を静かに涙が伝っていった。

 周助は、純粋で、聡明だった。とてもとても賢かった。そして優しかった。
 見抜かれて、いたのだ。全てを。

 私は生まれ変わったんだ。今までの経験を教訓に、より良い人生を送ろう。
 そんな決心をしても、そう簡単に切り替えができるわけもなく、色んな葛藤があったりやっぱり前の生活が恋しくなったりして、私は暫く塞ぎ込んだりした。でもそんなことをしても変わらない状況に諦めることで妥協したり、新しい環境に幸せや喜びを見出したり。そんな風に折り合いをつけて、徐々にでもこの状況を受け入れていった。それがきっと、この状況で私が一番心安らかであれる方法だったから。
 でも、それなりに受け入れることもできて、上手く折り合いをつけたつもりだったんだけど、最終的に私は心を開ききることはできていなかった。中身は子供じゃない私と、当然だけど私を子どもとして扱う周りの人とではやっぱり色々と食い違う部分があって、でもその食い違いは私にしか分からない。誰にも理解できるはずがない。
 それを思うと、沢山の人に囲まれて、沢山の愛を受けながらも、私は時折どうしようもない寂寥感に苛まれた。孤独だった。
 でも、私はそのことからずっと目を逸らしていた。目を向ければ辛いだけだから、ずっと見ないようにして、誤魔化してきた。なのに。

 私は今まで周助の寂しさなんて全然気付かなかったのに、周助は全部知ってたんだ。私自身がなるべく意識しないようにしていたところまで、全部。そう思うと、頬を伝う涙はどんどん勢いを増していった。

 ごめん、周助。本当にごめん。
 もう疎ましく思ったりなんてしない。するはずない。絶対に、ひとりにしない。
 天才だろうが何だろうが、知ったことか。そんなの私に関係ない。周助は私とこの世で一番近い存在で、大事な弟で、唯一だ。

「しゅう、ごめんね。あ、りがとっ……ありがと、しゅうすけ、だいすき」
「うん、ぼくも。ぼくも、だいすきだよ。なかないで、ちゃん。だいじょうぶだから」










 それから長い間私はぼろぼろ泣き続け、周助はそれをずっと拭い続けた。
 そのうち泣き疲れた私はそのまま眠ってしまったみたいで、ふと目を覚ますと柔らかいブランケットに包まれて横になっていた。目の前には私の顔を覗き込むようにして頬杖をついている周助がいて、ゆっくりと私の頭を撫でている。

「……しゅう」
「だいじょうぶ?あたま、がんがんしない?」
「ん……たぶん、へいき」

 周助にはそう返したものの、むくりと起き上がるとやっぱり盛大に泣きながら眠ったせいで周助の言う通りガンガンと響くように頭が痛んだ。思わず眉を顰めると、「まだねてたほうがいいよ」と尤もなことを言われて元の体勢に戻される。まあ無理に起きる必要もないか、とそのまま大人しく横になっていると周助はまた私の頭に手を添えた。
 ゆっくりと私の頭を行き来する周助の小さな手を感じながらふと窓の外に目を向けると、もう雨は止んでいた。曇っていた空からはまた太陽が顔を出していて、庭を飾る無数の雨露がキラキラと輝いている。その変化がまるで私の心情とリンクしたように思えて、止まったはずの涙がじわりとまた少し視界を揺らした。

「しゅう……しゅうすけ」

 潤む瞳を気付かれまいと目を伏せて、囁くように名前を呼ぶ。
 周助は何も言わずに、続きを促すようにただ静かに私の髪を撫で続けた。

「ごめんね……いままで、ひとりにして」

 うまれたときは、いっしょだったはずなのに。
 目を瞑ったままそう呟けば、周助は動かしていた手を止めて、それからそっと私の手を取った。

「ううん、へいきだよ。ぼく、いま、すごくうれしいんだ」

 ほんとうだよ、と柔らかく零された言葉にゆっくりと瞼を押し上げる。私を見つめる周助の顔は、言葉通り本当に嬉しそうに綻んでいた。

 周助は、賢い。本当に賢くて、その賢さは本当に、周りとは違うかもしれない。
 けどそれが、周りと違うのが寂しいっていうなら、私が頑張ってついていくから。私の寂しさに気付いて、一緒にいると言ってくれた周助の隣に、ずっといられるように頑張るから。周りの何が変わったとしても、私だけは変わらず傍にいるから。
 きっと無理じゃない。元々、真面目に勉強しなくて後悔したから今度は勉強だって何だって一生懸命やろうと思ってた。自分の人生を充実させるために、そうしようって。それをもうちょっと、頑張るだけ。できる。絶対できる。周助がいてくれるなら、できるよ。きっと。

 繋がれた手にぎゅっと力を込めながら、静かに、密かに、自分の胸だけに誓いを立てる。

 私がずっと、この子の傍にいよう。
 いつか離れることがあっても、ずっと、変わらず。