Perfume

君の幸福を願う幸せ

我が親愛なる片割れよ



 私は何で、今までこのことに気付かなかったんだろうか。
 家路を辿る幼稚園バスにゆらゆらと揺られながら、何度もそう考える。いつもなら家に着くまで隣に座る周助と他愛ない話をしているところだけど、今はそんなこともできそうになくてただひたすら寝た振りをした。



 私は、分かっていたはずだった。
 初めは自分に向けられる賞賛の言葉に戸惑いながらも照れ笑いをしていた周助が、何時の間にか幼児らしからぬ苦笑いを見せるようになっていたことも。
 その賞賛の後には必ず私も同じだということを確認したがることも、私が同意しないと不安そうにすることも、反対に同意すれば安心したように笑うことも。
 それが分かっていたのに、何で気付かなかったんだろう。

 不安“そう”?
 安心した“ように”?

 違う、そうじゃない。
 周助は間違いなく不安“だった”。そして、私が自分と同じであることに安心“していた”のだ。
 周助はいつも孤独で、私の存在に救いを見出していた。
 それに気付けば、後は簡単だった。少し考えればすぐに、全部理解することができた。





「…………しゅう」

 カチャ、と小さく音を立ててドアが開く。そっと覗き込めば周助は窓辺で1人、静かに庭を眺めていた。やんちゃ盛りな年頃の小さな男の子であることを考えれば落ち着き過ぎているその佇まいに、小さく胸が軋む。
 私の呼び掛けに周助がゆっくりと振り返って、ちゃん、と呟く。


 周助は何時からか、周りから受ける「凄いね」という賞賛を苦痛に感じていたんだろう。
 褒められるのが嫌なんじゃない。ただ「凄いね」「流石だね」と言われる度に、突き放されているような気がして。「凄いね」という言葉の裏に、「自分達とは違う」というもう1つの意味が潜んでいるように思えて。
 そんなつもりはないと分かっていても、一度感じた疎外感は繰り返されるその言葉によって少しずつ重みを増す。
 悲しい。寂しい。独りは怖い。


 体を挟むようにして少しだけ開いたドアの隙間からスルリと抜け出し、無言で周助の隣に座る。それまで周助がしていたように窓の外に目を向ければ、しとしとと静かに雨が降っていた。
 普通であれば明るい笑い声に満ちているべきはずの子供部屋は、ただただ密やかな雨音に支配されている。ふと、世界から隔離されてしまったような気持ちになった。

「……しゅうすけ」

 小さく名前を呼ぶと、周助は不思議そうに首を傾げる。そんな弟をそっと、できる限りの優しさでもって抱き締めた。


 私だって、最初に大人達から「天才だ」と持て囃された時はあまりに別格扱いをするので不安になった。多数派が力を持つ民主主義の国で、『周りの人間と大きく異なる』ということは不思議な恐怖感を与える。決して悪い意味じゃない。そうは分かっていても、なんとなく不安に感じた。
 でも私の場合は自分が「天才だ」と言われる所以を知っていたし、今は優秀だと思われる行動も同年代の子供達が成長すれば他に埋もれて目立たなくなることも分かっていた。だって私は、天才なんかじゃない。ただの反則だ。
 時間が経てば全部解決する。そう分かっていたからこそ、私はそんな不安はすぐに拭い去ることができた。
 でも、周助は?私はそうやって納得できたからいいけど、周助には不安を解消する術が何もないじゃないか。

 そんな時、周助は私の存在に気がついたのだ。
 生まれた時からずっと隣にいて、何でも自分と同じようにこなしてくれる、片割れの存在に。
 それできっと、何時の間にか賞賛の後には私に確認するようになったんだろう。「僕達は同じだよね?」って。「ちゃんだけは一緒だよね?」って。
 それなのに、私はそのことに全然気付きもしなかった。気付こうともしなかった。
 不安そうに顰められる眉も、安心したように緩む表情も、全部知ってたのに。
 全然、深く考えようとしなかった。ずっと見落としてきた。その小さなSOSのサインを。


 ぎゅっと背に回した手に力を込める。ちゃん?と不思議そうに私を呼ぶ周助に、何時の間にか「ごめん」という言葉が勝手に口から零れていた。

「しゅう、ごめんね」

 囁くようにごめん、と繰り返す私に周助は益々不思議そうに首を傾げたけど、私は何も言わずにそっと目を伏せた。


 周助の、SOS。私に救いを求める、小さなサイン。私はむしろ周助のその行為を、少し疎ましく思っていた。
 周助のことは好きだ。物静かな、可愛い弟。聞き分けのいいところも好ましく思っていたし、私を慕ってくれるのも嬉しかった。でも、賞賛の矛先を私にも向けてくるところは煩わしかった。私は普通の子供らしく振舞おうとしてるのに、なんて。
 それどころか、私は周助のその優秀さ自体疎ましく思っていた節さえあった。

 双子の弟が天才なんて、ちょっとやだなぁ。
 今はよくても、大きくなってから比べられたら面倒臭そう。
 だって私、天才じゃないし。

 そういうことを、思っていたのだ。少なからず。
 周助は精一杯私に向かって手を伸ばしていたのに、私はその手を無意識のうちにずっと叩き落していた。
 周助が唯一救いを見出せる存在の私まで、「自分とは違うんだ」と線引きをして。


「ごめん……ごめん、ね」

 全部憶測だ。確証なんてない。でも、私にはそれが真実であることが分かっていた。
 今までは全く気付きもしなかったのに、触れたところから流れ込んでくるように周助の寂しさを感じる。胸が痞えて、上手く言葉が出てこない。じんわりと目頭が熱くなるのを感じながら、伝えるべき言葉を探した。

「ごめんね、しゅう。もう……ひとりに、しないから」

 やっとのことでそれだけ伝えて、そっと体を離すと、今まで不思議そうにしていた周助が驚いたようにその目を薄っすらと開いていた。それをじっと見つめながら、周助の前に静かに手を差し出す。
 それはおそらく、私が周助に手を差し伸べた初めての瞬間だった。