死は生の始め 3



 私にも、その時々の気分というものがあります。
 その日の私の気分は酷く低迷しており、朝から眉間に皺を寄せたまま過ごしていました。当然、いつものように私の背中を追ってくる若の存在も普段よりさらに煩わしく感じられます。胸に溜まる不快感のままに、私はつい若を邪険にしてしまいました。服の裾に縋ってくる若を、振り払ったのです。場所は縁側でした。
 若は振り払われた反動で薙ぐように倒れ、その拍子に庭へと落ちました。その様子を呆然と見ていた私は、一拍遅れてハッと息をのみました。縁側の下には、庭に出るための履物を並べた大きな踏石が置いてあることを思い出したのです。その途端、私の心臓は早鐘を打ち始めました。
 急いで私は弟の名前を呼びながら彼の元へ駆け寄りました。抱き起こした若はやはり頭を打った様子でしたが、幸い出血はごく僅かなものでした。痛いほどに脈打つ心臓を押さえながら早く手当てしなければと若の顔を見やり、私は再び呆然としました。若は頭を打って泣くどころか、普段でもあまり見られないような満面の笑みを浮かべていたのです。いつもは一瞥をくれる程度で特に反応のない私が駆け寄ってきたことが、嬉しかったのでしょうか。若はむくりと起き上がると、私に向かって懸命に手を伸ばしました。

 その瞬間、私の胸の内から何かが溢れ出したのです。

 それは、何やらとても温かいものだったように思います。苦しいくらい熱いものだったようにも思います。どちらにせよ、私の胸が急激に温度を上げたことだけは確かでした。私の胸の熱はじわじわと体中に広がり、その熱は眼球の奥にも宿りました。その途端私の視界はぐにゃりと歪み、瞬きをするとぼろぼろと透明な液体が零れ落ちました。
 何年振りの涙だったでしょう。生理的なものでなく、自分の感情から涙を溢したのは何年前のことだったでしょう。両親の葬儀の時ですら、視界が潤むことさえなかったというのに。

 この時、私は自分が初めて喪失を恐れたということに気付きました。
 何かが失われることに、恐怖を抱いたのです。

 それは驚くべきことでした。
 両親を失っても驚きや困惑以外の感情を覚えることのできなかった私にとって、大いに驚くべきことでした。
 私は目の前をゆらゆらと揺れる小さな紅葉へと、恐る恐る手を伸ばしました。お互いの手が重なった瞬間、ギュッと力強く握りこまれる感覚に、私の涙は勢いを増していきました。「おねーちゃ、」と舌足らずに呼ばれ、そういえば若の始語は『ね、ちゃ!』という、私のいる方向に手を伸ばしながら放たれた言葉だったということを思い出して嗚咽さえ零れました。
 このままでは私の瞳は溶けてなくなってしまうんじゃないか。そんな馬鹿なことを考えてしまうほど、私の涙は止まることを知らず流れ続けました。私の濡れた頬に手を伸ばし、ぼろぼろと零れる涙を払うように動かす若に私は涙する以外にありませんでした。
 ただ、他人の涙が物珍しかったのかもしれません。ですが私には、若が私の涙を拭ってくれているように思えて仕方なかったのです。

 ぎゅっと若の頭を抱き込みながら、私は自身の胸に宿った熱の名前をようやく見つけ出しました。それは『愛情』という、とても単純で、私にとってはやはり驚くべきものだったのです。その答えに辿り着いた時、私は母を亡くしてからずっと感じていた不安が溶けていくのを感じました。

 友人達が好意を寄せる相手についてささめく中、私はいつも微笑みながら頷くことしかできませんでした。
 母が死んだとき、残念だとしか思えず、母がいなくなったことにもすぐに慣れることができました。
 父が死んだときも残念に思うと同時にやはりと思っただけで、すぐにその後の入試に向けて気持ちを切り替えることができました。

 思えば私はいつも、誰かを愛しく思い執着するということができずにいたようなのです。親愛も、恋愛も、友愛も、私は知らなかったのです。けれど私は18年間、そのことに気付きもしませんでした。母の死を嘆くことができない自分を知って、漸く気が付いたのです。自分が異常であることに。
 不安でした。気付いてしまってからは、ずっと不安でした。自分は何か、大切な部分が欠落しているんじゃないか。そう考えると、心が沈んでいきました。だから努めて何も考えないように日々を過ごしていました。それでも書店で恋愛や家族愛について書かれた本を、ドラマで俳優が愛を謳う様を、街中で人々が仲睦まじく寄り添いあう様子を目にするたびに、自分が異質なのだと言われているような気分になりました。

 少しずつ胸の中で膨らんでいくその不安から、私はこの時初めて逃れることができたのです。
 愛しい、愛しい、と心の中で繰り返しながら、私は若を抱き締めて泣きました。それを聞きつけた家族が慌てて家の中から出てくるほど、大きな声で泣きました。あんな安堵感は、もう生涯味わうことはないでしょう。



 その日を境に、若が私の背を追うことはなくなりました。私自身が、若の隣にいるようになったからです。
 それから私と若は、2人で色々なことをして過ごしました。一緒に本を読み、一緒に眠り、歩く時はいつも手を繋いで。春も、夏も、秋も、冬も、私は若と共にありました。若を愛しく思うようになってから、私の世界がどんどん鮮やかに色付いていくのが分かります。若の隣から見る世界はとても輝かしく、何もかもが美しく感じられるのです。

 大好きな若。大切な若。私にとって、それはまるで天使のような。
 若は冷めた私に愛を、感情の起伏が乏しい私に豊かな感情をもたらしてくれました。

 私の生が本当の意味で始まったのはきっと、若に愛を教わったあの瞬間からだったのでしょう。


- end -

2009-09-15

よくある“興味ない”もしくは“嫌い”から“大好き”へシフトチェンジするパターンです。
性格というか人間性がちょっとアレなヒロインはここからどんどん矯正されてくことになります。
弟を愛しつつ、人生を全力で謳歌してもらう予定。