「チョコ……?」
「そう、チョコ」
それは、部活のないある日の放課後のことだった。
HRも終わって特に用事もないのでまっすぐ家路に着こうと学用品を鞄に詰め替えていると、不意に数人の女の子達が私の元へ走り寄ってきた。少し頬を紅潮させながら私の机を取り囲む彼女達は、よく見ると特に用事がなければ普段はあまり会話をすることもない人ばかりでただ首を傾げるしかない。
それから私が一体何なんだろう、と思わず大きく瞬きをするのと、私の真正面に立った女の子が「あのっ、日吉さんって誰かにチョコあげる!?」と早口に捲くし立てるのは殆ど同時だった。
「チョコを、誰かに……」
その言葉の真意を推し量ったのは数秒。今が何月なのかということに思い至り、答えはすぐに導き出すことができた。
「今度の、バレンタインの話?」
「そう!それで、日吉さんは……誰かにあげたりする?」
さっきまでのような勢いを失くした彼女は、机に手をつくと少し身を乗り出すようにしてそう静かに私の顔を伺ってくる。それと一緒に周りにいる女の子達も真剣な顔で私の顔をじっと見てきて、その様子からそういうことかと合点がいった。
バレンタインのチョコといえば、日本では一般的に『想いを託して異性に渡すもの』と認識されている。恐らく彼女達はそれを渡す相手が私と被っていないか、ということを気にしているんだろう。
皆に聞いて回ってるのかな、などと考えつつ、とりあえず「えっと、家族や友達には……」と答えれば「いや、そういうのじゃなくって!何かこう、特別な感じのは!?」とまた最初のような勢いで詰め寄られてしまった。
「う、うん……。その、告白みたいなものをする予定はないけど」
「じゃあ、本命チョコはなしってことだよね!」
「そ、そっか!よかった〜……日吉さん相手じゃ勝ち目ないし……!」
はあーっ、と大きく安堵の息を吐く彼女に「勝ち目……」と思わず呟くと、「ああ、いや!違くて!」と慌てた様子で首と両手を勢いよく振った。
「何でもないの!ほんと!」
「ごめんね日吉さん、急にこんなこと聞いちゃって!」
女の子達は口々にそう言いながらその何やら失言をしたらしい女の子の背をバシリと叩くと、あははは!と誤魔化すような笑いと共に去っていった。
その背を見送りながら、女の子は大変だなぁ、なんてつい他人事のように思ってしまう。チョコレートを選んだり作ったりする他に、競合他社のリサーチもしないといけないとは。
そんなことを思いながら改めて家に帰ろうと立ち上がると、今度は「なんやえらい元気やなぁ」なんて声が少し上の方から降ってきた。
「あれ、侑士君……職員室は?さっき呼ばれてた気がしたけど」
「ん?ああ、今行ってきてん。なんやまだ出しとらんプリント早よ出せー言うて催促されただけやったわ」
出した思ててんけどなぁ……、と呟きながら億劫そうにガリガリと頭を掻く侑士君が何だか微笑ましくて、思わずちょっと笑ってしまう。するとそれに気付いた侑士君も柳眉を下げて薄く笑った。
「そういや、何の話してたん?えらい盛り上がっとったみたいやけど、あの子ら」
「ああ、さっきの?バレンタインには誰かにチョコあげるのかって聞かれて」
「あー……そか。もうそんな時期か」
2月やもんなぁ、と顎に手を当てて呟いた侑士君は、それから一言「そんで?」と続けた。何か続きを促されたということは理解できるが、肝心の何を促しているのかということが分からない。
鸚鵡返しに「……それで?」と言いながら首を傾げると、侑士君は「せやから、」と片眉を上げた。
「その質問には何て返したん?」
「うん?ああ、そのこと?普通に、家族と友達にはあげるよって」
「へぇ……そんで本命はなしとかどうとか言うとったんか」
一先ず納得したらしい侑士君に「そうみたい」と返そうとして、ふと先程の会話を思い出して開きかけた口を噤む。
『何かこう、特別な感じのは!?』
特別な感じのチョコ。それが彼女達の言っていた“本命チョコ”を指すのなら。
「渡すと言えば渡すんだけどなぁ……本命」
毎年殊更手を掛けて作る『特別』を思い浮かべて思わずくすりと笑えば、数拍の後に頭上から「は?」という驚愕の声が降ってきた。
あの子のチョコは誰のもの?