二人分の家族 2
高校生やサラリーマンが帰宅する時間帯と重なったらしく、電車の中は同じような服を着た人間でごった返している。にも拘らず私がそこまで窮屈な思いをせずに済んでいるのは、周囲が子供だからと少しは遠慮してくれているせいだろうか。それとも国君が私を隅っこに立たせ、その前で仁王立ちしてくれているせいだろうか。
そんなことを考えているうちに電車はゆっくりとスピードを緩め始め、数十秒後にはピタリと止まった。国君に手を引かれながら電車を降りて、やっと出られた、と一息つく。
ふと今まで乗っていた車両を振り返ると降りた人以上にまた人が乗り込んだらしく、さっきよりも更に込み合っているように見えた。今まであんな中にいたのかと考えると、改めて息苦しくなるような感じがする。
「、切符はなくしてないな?」
「あ……うん、大丈夫」
ならいい、と頷くと国君はまた私の手を引いて歩き出す。
そういえば国君と手を繋ぐのなんていつ以来だろう。もっと小さい頃は歩く時によく手を引かれた(私の言動やら本の趣味やらを知っているくせに、国君はいつだって私を妙に子供扱いする。歳だって二つしか離れてないというのに)が、いつの間にかそんなこともなくなっていた。国君が意外と子供体温だということを意識したのも久しぶりだ。いや、実際に子供なんだけど。
ぼんやりと頭で考えるのはそんな他愛も無いことばかりで、でもそうした思考は時間を早く進める。ふと意識を戻した時には私は既に改札を抜け、駅を出て、居並ぶタクシーの群れを横切っているところだった。
「そういえば、お前が俺の家に来ることはあってもお前の家に行くことはなかったな。どの辺りにあるんだ?」
「向こう。あの高台あたりの住宅地」
鳳家はセレブらしく所謂閑静な住宅街というヤツに居を構えている。ご近所さんも中々の邸宅にお住まいだが、我が家はその中でも目立つくらいの豪邸なので行けばすぐに分かるだろう。
分かった、と軽く頷いて歩き出した国君の後ろをついていく私の足取りは依然として重い。国君の前で散々大泣きした甲斐あってか今はある程度は落ち着いているが、私の中にあるもやもやしたものはまだ消えていなかった。
多少冷静になった今でも、両親の顔はやはり思い出せない。こんな状態で家に帰って、今の両親の顔を見て、私は平気なんだろうか。また衝動的に家を飛び出したり、しないだろうか。
そんなことになったとしても再び家に帰ることになるだろうが、その繰り返しでは意味が無い。
ほんの少しでいい、もうちょっとだけ時間が欲しい。そう思ってふいに立ち止まると、繋いだ手を急に引かれた国君が訝しそうに振り返った。
「?どうした、急に」
「……国君、ごめん、ちょっと公園寄っていい?」
「公園にか?」
国君は私の言葉に益々怪訝そうな顔をしたが、数秒の後に「道は分かるんだろうな」と了承の意を示した。
それに勿論だと頷いて、今度は私が先を歩く。幸い家から500m程しか離れていない所に小さな公園がある。それなら帰ろうと思えばすぐに帰れるし、丁度いいだろう。
立ち並ぶ美しい外観の家々を通り過ぎ、小さい頃から行き慣れた公園を目指す。
「国君、付き合ってくれてありがとね。もう遅いし、公園着いたら国君も帰りなよ」
「俺のことは気にするな。この暗がりにお前一人残すわけにもいかないだろう」
「でも、このあたりからならもう家も近いし……」
「そういう問題じゃない」
「いや、でもさ……」
そんな押し問答を続けながら歩みを進め、公園の入り口付近に差し掛かった時だった。外灯の明かりがポツポツとあるだけの薄暗い公園の奥から、「!!」という大きな声が聞こえたのは。
「え、あ……ちょた君」
バタバタと忙しない足音を立てながら走り寄ってくる姿に思わずそう呟いた時には、ちょた君は既に目の前に立っていた。
「……」
呼吸を乱したままこちらを睨むように見つめてくるちょた君は見るからに汗でびっしょりだった。首筋やこめかみをスッと汗が流れては、地面に滴り落ちていく。その度に色を濃くしていく地面に、さっきも見たような光景だな、なんてぼんやり思う。
「ちょた、」
「何処に行ってたんだよ!!」
声を掛けた瞬間、遮るように怒鳴られる。
ちょた君はいつも私に対して異常なまでに優しく、不必要なまでに丁寧に扱った。怒鳴られたことなんて、ただの一度もない。
驚いて咄嗟に顔を見上げると、ちょた君はぐっと顔を歪めていた。
「、何処に行ってたの!?探したんだよ!?帰ったらが家飛び出したって聞いて、何処探してもいないし、何時まで経っても帰って来ないし、」
「ちょたく、ん」
「何処かで事故にでも遭ったんじゃないかって、ずっと、探して……!」
「ちょたく、ごめ」
「なんで、なんで何も言わずに……どうして…………」
喚くように捲くし立てるちょた君の声の震えは、喋る度に強くなっていく。次第に瞳も潤み始め、ちょた君の顔は汗と涙とでぐちゃぐちゃに濡れてしまっている。どうしよう、泣かせた。私、この子泣かせちゃった。
どうしようどうしようと心の中で繰り返しながら、とにかく涙を拭こうと制服のポケットからハンカチを引っ張り出す。丁寧にアイロンの掛けられたそれでちょた君の顔を拭おうと手を伸ばすが、頬に届く前に腕を掴まれ引っ張られてしまった。
「ちょた君、顔、」
「…………よかった」
「ちょた、君」
「……よかった、」
ぐすりと鼻を鳴らしながら、なんともないんだね、と確かめるように強く抱き締められる。汗で湿ったシャツがひたりと頬に張り付いたけど、そんなこと、どうだっていい。
じんわりと、目の奥にまた痛みが襲ってくる。
「あ、の……ちょた君、ごめん、ね?」
「……う、ん」
「ちょたくん、ごめん」
「うん」
「ごめ、ちょた君、ごめんね?あ、たし、」
「うん」
ごめんね。ほんとにごめん。私、凄く心配掛けた。
何で今まで気がつかなかったんだろう。国君には「家族が心配するから帰れ」とか言ってたのに、自分のことは頭からすっぽり抜け落ちてた。まだ小学生の子供がいきなり何も言わずに家飛び出したんだから、心配しないはずないのに。
そうだ、お母さん。お母さんはどうしただろう。自分のことでいっぱいいっぱいで今まで全然気が回らなかったけどあの時私、嫌とか何とか、酷いこと言った気がする。きっと心配して声を掛けてくれたのに。
自分が声掛けた途端に娘が嫌だと叫びながら家を飛び出していったなんて、母親ならどう思うんだろう。母親の気持ちなんて私にはまだ分からないけど、そんなの、考えただけでも酷すぎる。
何やってんだ、私。前の両親のことで罪悪感感じて飛び出して、今度はそれで今の両親のこと傷つけて、しかも家族に泣かれる今の今まで気付きませんでしたって。薄情どころじゃないでしょそれ。最悪。前世の記憶があろうがなかろうが、私、あの人がお腹痛めて生んだ子供であることに変わりないのに。
「ごめん、ごめんね、あたし、ごめっ」
「うん……大丈夫だよ、」
いつの間にか、大泣きしているのは私の方になっていた。
さっき国君のところで流し尽くしたと思っていた涙はまたボロボロと頬を伝い、汗でしっとりしていたちょた君のシャツが更に濡れていく。
そういえば、ちょた君も制服のままだ。ちょた君のことだから私のこと聞いてからすぐに探しに出たんだろうけど、明日も学校なのにどうするつもりなんだろう。ちょた君はそんなこと微塵も気にすることなく、よしよしと慣れた手つきで頭を撫で続ける。その手は昔からずっと変わらず私に優しい。
こんな風に形振り構わず、後先考えずに必死で探してくれる人がいるのに、ホントに何やってんだ私。この人達のこと大事に出来なかったら絶対また後悔するのに、どうしていつも気付くのが遅いんだろう。
「……ねえ、もし何かあったなら、俺に言ってよ。どんなことだって、俺の味方になるから。だから、きっと、俺にだけは言って?他の誰に言えなくても、俺には」
「う、ん……ごめ、ね、ちょた君」
ごめんねと繰り返すと、ちょた君は「俺、“ありがとう”の方がいいな」と微笑んだ。
私、きっとこの人を大事にしよう。もしまた不意に死んじゃっても悔いなんて残らないくらいに、大事にしよう。絶対できる。この人になら私絶対できる。絶対大切にする。だって私、鳳なんだから。ちょた君は私のお兄ちゃんで、私の家族なんだから。
家に帰ろうとした時、いつの間にか国君がいなくなっていたのに気付いた。きっとちょた君が来て、雰囲気を察して声を掛けずに帰ったんだろう。大人な子供だ。
家に着くと珍しく厳しい顔のお父さんに「あんまり心配かけるんじゃない」と静かに怒られ、目元を赤くしたお母さんに「何もなくてよかった」と抱き締められた。
ごめんなさいと謝りながら、改めて鳳家の子供なんだなぁと実感する。
と鳳の二人分の家族と、最高にできた幼馴染を持った私はきっと、世界でも有数の幸福な子供に違いない。
Afterword
これでようやく幼少期編が一段落つきました。このネタはヒロインが何の疑問も躊躇いもなく自分のことを鳳家の娘ですと言えるようになるために絶対に書いておきたかいなーと思ってたので書けてよかった。
やっぱりこっちでの生活の方が絶対楽しいし環境的にも良いと思っていても、ホームシックとかにはなると思います。本当に生まれたての頃にも散々ホームシックになってたんでしょうが、完全にこっちの生活に慣れてから改めてなるとまた中々キツイものがありそう。
2009/05/20