君のためなら百万馬力 1
「おい、。この前の資料持ってこい」
「えっと、この前って……跡部先輩が纏めてたヤツですか?」
氷帝学園内、テニスコートにて。
「部室にある。2分以内だ、行ってこい」
「え、あ、はいっ!」
鳳、只今絶賛こき使われ中です。
バタバタと忙しなく両足を動かしてレギュラー専用の部室を目指す。パッと見では運動部の部室だなんて思えない(いや、よく見ても思えない)室内に駆け込み、テーブルの上に目を走らせるがそれらしきものは見当たらない。きょろきょろと全体を見回すと、跡部先輩用のパソコンの前に紙の束が置いてあった。
「これ、だよね……?」
手に取ってザッと目を通してみると、用紙いっぱいに準レギュラーのについてのデータが詳しく書かれている。うん、今日練習試合があることを考慮してもこれでよさそうだ。今日は準レギュとか2年生にも結構試合やらせるとか言ってたし。
それを抱えて跡部先輩の所へ急ぐために踵を返すと、視界の端にチラッと時計が映った。まだ十分間に合うな、と安心しながら部室を後にする。コートの端を練習の邪魔にならないよう少しずつ移動していると、途中で宍戸先輩と偶然目が合った。私に気付いた先輩がよお、と軽く片手を上げる。
「また跡部にパシられてんのか?」
今しがたラリーを終えたらしい先輩はコートの外に出ると、ポンとラケットを弾ませるようにして私の頭を叩いて「災難だな、お前も」と苦笑いする。
「パシられてるって……もう少し他の言い方なかったんですか、先輩」
手伝ってるとか、と眉を寄せて抗議すると「マネージャーでもねぇのに雑用やらされてんのには変わりねぇだろ」と笑われた。だからって表現ってもんがあるだろうに。私の矜持ってものも考えてほしい。
まったく、と思いつつも「それじゃあ練習頑張って下さい」と練習に戻る先輩を見送って、私は再びこそこそと移動を始めた。
お分かりかと思うが、今私は雑用をやらされている。しかもさっき先輩が言った通り、“また”なのだ。今までも何回となくこき使われた。何回となくというか、ずっと。跡部先輩から理不尽に『放課後テニスコート付近に待機』という命令を下されてから、ずっと。
あれから『私がいてもジロー君の遅刻は変わりません』という私の訴えも虚しく、少しだけ遅刻率が減ったっぽい、という曖昧な理由で私のテニスコート待機はテニス部の日常の一部にされてしまった。抗議しても無駄だったので『もういいよ、元からテニスコートにいなきゃいけないってわかってるんだったら本とか手芸道具持ってきてればいいだけだもん!趣味に没頭する場所が自室からスタンドに変わるだけのことだ!』となんとか自分を納得させて私は仕方なくそれを受け入れたわけだけど、そんな健気な私に待ち受けていたのは跡部先輩による雑用の嵐だった。曰く、「暇なら雑用でもしてろ」。
正直言って、最初普通に腹が立った。暇じゃないっつの!私がたった今鞄から出した本が見えなかったのか!やること、ていうかやりたいことならありまくりですけど!?内心で絶叫である。もちろん「何で私なんですか」と言葉にも出した。が、返ってきたのは「そこにいたからだ」という無情な言葉だった。
ふざっけんな、マジふざっけんな。そこにいるから?アンタがいろっつったんだよ!他でもないアンタが!何だその有名な登山家みたいな返しは!ジョージ・マロリー気取りか!私は山じゃねぇぞ!!
今度こそ本当に怒髪天を衝いた私は当然「先輩がいろって言ったからいるんじゃないですか!」と訴えた。敬語を崩さなかった自分を褒めてやりたい。しかし、今度返されたのはその質問に対する答えではなかった。
『何だ、このくらいのことも出来ねぇのか?お前』
なんというか、安い。実に安い挑発だ。鼻で笑いたくなるくらいありきたりで、使い古された、捻りのない挑発。普段私は基本的にビビリなのでそんなことを思っても口には出さないけど、かなり苛々させられて好戦的な気分になっていたので実際に「陳腐な台詞ですね」と鼻で笑ってやろうと思った。
でも、結局それを実行することはできなかった。驚くことに彼は、跡部先輩は、言葉の魔術師だったのだ。言葉の選び方や使い方が上手いんじゃない。いや、確かにそういうのも上手いんだけど、私が言いたいのはそうじゃなくって。簡単に言えば、跡部先輩は自身の放つ言葉に、相手から自分が狙った通りの感情を引き出す力を込めることができる人だったのだ。つまるところ、ものすっっっげぇムカついた。
なんかもう、怒髪天を衝くとか衝かないとかの話じゃない。衝くどころかもはや貫いちゃった感じ。もし私の髪が本当に逆立っていたら大気圏くらい軽く突破したと思う。きっともうちょっとで月に届いたに違いない。とにかく、今までのこともあってそのぐらいカチンときた。
そしてここからが言葉の魔術師の本領というか、凄いところなわけで。何故か跡部先輩のその言葉に私は、怒りと同じくらい強く「この人を絶対に見返してやらなくちゃ!」と思ってしまったのである。そうして跡部先輩の術中にしっかりと嵌ってしまった私は当然その場で「やれます!やってみせますそのくらい!やればいいんでしょ!」と啖呵をきってしまい、今に至っている。こんなこと言いたくはないが、私って本当に馬鹿だと思う。
「跡部先輩!これでいいんですか?」
コートの外に佇み部員の様子を見ている跡部先輩に駆け寄り、資料を渡す。ついでに資料の内容からして必要になるかも、と一応持ってきてみたバインダー(と、そこに挟んだボールペン)も。多分跡部先輩なら、いらなければ「必要ねぇ」とか言って突き返すだろうし。
跡部先輩はいつものようにああ、と軽く頷きそれを受け取る。この様子だとやっぱりバインダー持ってきたのは正解だったらしい。持ってきてよかった、と思っていると、早速資料に目を通し始めたんだと思っていた跡部先輩に「おい、」と呼び掛けられた。
「端がよれてる。書類は丁寧に扱え」
よれている、というその部分を示され、私は思わず「あーもうっ!すみませんでしたっ!」と自棄気味に叫んだ。ちっくしょう、そのくらいの皺が何だ!重箱の隅つつくような指摘して!
何処の小姑だよアンタ!と思いつつも何も言えない代わりに精一杯先輩を睨むと、ふっと口の端をつり上げて愉快げに笑う。くっそ、何だよ!言い返せない私がそんなに滑稽か!
「ま、言われなくとも一緒にバインダー持ってきた判断は悪くねぇよ。褒めてやる」
そう言って、不意に頭をぐしゃりと撫でられた。というか、かき回された。
「〜〜〜〜〜っ!!」
ちっくしょうコレだよ!!何で、どうしてこの人、普段あんな鞭ばっかでホントに馬車馬の如くって感じに働かせるくせに、こうやって絶妙なタイミングで飴よこしてくるの!ズル過ぎる!!
たったあれだけ、しかも“悪くない”だの“褒めてやる”だの、凄い上から目線の高圧的な言葉なのにこの充足感はなんなのか。とりあえず先輩がこんな手を使ってくるせいで、内心文句言いながらもつい言うこと聞いてしまうのは確かだ。だから兄が折角「何でが雑用なんか!」と抗議してくれた時も、結局「私は大丈夫だから」なんて言って自分で収拾をつけてしまうわけである。
ああもう、なんだかんだ言って結構面倒だし先輩いちいち癪に触るんだけど、だんだんやりがいとか感じつつあるなんて悔しいから先輩には絶対に言わないんだから!褒められたって嬉しくなんてないんだからっ!!
くそ、私にこんなテンプレのツンデレみたいなことを思わせるなんて、流石は言葉の魔術師……!!と髪をぐっしゃぐしゃにしながら頭を抱えたいのをぐっと我慢する。そんなことしたらこの人にまた鼻で笑われるに違いない。ジレンマにジリジリしつつも乱された髪を直していると、跡部先輩は「おい、何ぼさっとしてる。次だ」とまたいつものように指示を出し始めた。ええ、鞭に比べて飴が極端に少ないのにももう慣れました!
「そろそろ立海の連中もこっちに着くだろ。校門で待機しとけ。来たらコートまで連れてこい、いいな?」
「はーい……」
はいはい、待機ね。跡部先輩のおかげで大得意ですよこのやろう!
心の中で馬鹿ー!と叫びながらコートの出入り口に向かって駆け出す。その途中で、すれ違った樺地先輩がお疲れ様です、というように少し(ホントにほんの少しだけど)眉尻を下げながらペコリと会釈してくれた。
跡部先輩にこき使われるようになって良かったことなんて、ちょっと樺地先輩と仲良くなれたことだけだ!!!
Afterword
跡部との関係は専らビジネスライクで。
次回の立海フラグが立ったように見せかけて、この『君のためなら百万馬力』自体が立海フラグなので次回の立海の活躍はありません。
2009/08/23