君のためなら百万馬力 2
跡部先輩の言いつけ通りに『氷帝学園中等部』と大きく書かれた門の傍らに立ち、ぼんやりと相手校の選手を待つ。ギュッと靴紐を引き絞った緩めのテニスシューズ(ちょた君が前に使ってたやつ。跡部先輩にローファーでコートに入るなと言われたので引っ張り出してきた)の爪先でコツンと小石を蹴りながら、立海かぁ、と一人ごちる。
立海って確かテニプリに出てきた学校だよね、うん。学校名くらいならまだ覚えてる。でももう私も今年で13歳になるし、キャラなんて覚えてないや。あ、でも強豪校だったってことは辛うじて分かる。あと何かあるかな、思い出せること。
退屈なのでそんな風にどうでもいいことをつらつらと考えて時間を潰していると、そのうちに校門のすぐ前にある職員専用の駐車場に一台の大型バスが入ってきた。中に乗ってる人たちがジャージを着ているのを見る限りアレが立海の人だろうと当たりをつけて、スカートや髪の毛をサッと整え背筋を伸ばす。一応テニス部の代表として他校の人をお迎えする訳だしね。第一印象は大切です。
あ、でも何か今更ながらに思ったんだけど、私こんな風に相手校迎えちゃってていいのかな?テニス部に所属してる訳でもないのに。ていうか跡部先輩も、流石にこういう迎えはマネージャーの人に行かせた方がいいと思うんですけど。一応ちゃんとマネージャーいるんだし。準マネだけだけど。
氷帝テニス部には驚くべきことにマネージャーにも『正マネージャー』と『準マネージャー』なるものがあるらしい。雑用を押し付けられ始めた最初の頃に「マネージャーの人いるじゃないですか!」と訴え、「あれは準マネだ」とか謎の回答をされて思わずポカンとしたのは記憶に新しい。まあ部員が200人以上もいるんだからマネージャーもいっぱいいて当然なんだろうけど、でもマネージャーにまで階級があるなんて知らなかった。
なんでも、現在の氷帝テニス部には準マネージャーしかいないらしい。先輩が言うには『正マネージャーは長く続かない法則がある』とのこと。
話によるとマネージャーをやってる皆さんには程度の差こそあれど、大抵“狙っている人”というものが存在するらしい。その意中の人にはまあ当然顔の良いレギュラー陣(または準レギュラー)が多く、皆そのレギュラー陣と関わりの多い正マネージャーになりたがる。でも晴れて正マネージャーになれても意中の人間に自分をアピールすることに重点を置いてしまい仕事が疎かになって降格されたり、ある程度打ち解けてきたという頃に告白に踏み切り玉砕してはその後の気まずさから自分で辞めてしまったり、理由は様々だが大体はそういったことが原因でずっと正マネージャーでいられる人が今のところいないのだという。
そんな直ぐに告白せず地道に頑張ってれば、もう少し望みも出てくると思うんだけど。そう素直に口にしたところ、女共の考えなんざ俺が知るかと一蹴された。
ともかく、私への指令が“コート付近に待機”から“テニス部の雑用をこなす”にシフトした理由は実はその辺にあったそうで。レギュラーの身内なら結構イケんじゃね?的な(私にとってはとても迷惑な)考えから普段は正マネージャーがやるようなレギュラーに関わる雑事を私にやらせてみよう、ということになったらしい。あとはテニス部の顧問である榊先生と知り合いなことも要因の一つだったみたいだけど。どうりでジロー君の遅刻癖は大して変わらなかったはずなのに曖昧な理由で引き止められたわけである。
まあ別に、いいけどさ。今は結構楽しいって感じるようになってきちゃったし。基本的に裏方作業って向いてるんだよね、私。
でもやっぱこういう正式(練習試合を正式って言うのかは分かんないけど)な場は、一応ちゃんとしたマネージャーにやらせるべきだと思うんだけどなぁ、と軽く溜め息を吐く。それと同時にザリ、と前方からアスファルトを踏みしめる音が聞こえたのをきっかけに背筋を伸ばした。
「立海大付属中の者だが……テニス部の人間か?」
「はい、お待ちしておりました。態々ご足労頂きありがとうございます」
他校とはいえ中学生同士でここまで馬鹿丁寧に対応する必要があるのか、と思いながらも記憶した通りの台詞を吐いて頭を下げる。だって仕方ない、跡部先輩に読み込まされたマネージャーのマニュアルに書いてあったんだもん。他校と交流する際の対応。
ひょいと顔を上げると、色黒でスキンヘッドの人や銀髪の人が、なんというか……『よくやるなぁ』的な、驚いたような軽く呆れたような、若干微妙な顔をしていた。言うな、何も言ってくれるな、私だって大げさだって思ってるから。
「校門からコートまでは少々距離がありますので、私がご案内させて頂きます。どうぞ、こちらへ」
「ああ、よろしく頼む」
なんかやたらと厳つい人や目の細い、ていうか開いてないっぽい人は全然動じない。この人達、きっとレギュラーの人なんだろうな。明らかに外見が規格外。テニプリキャラ確定です。
まあとにかく案内しちゃおう、と先頭に立ってさっさとコートを目指す。やっぱ気まずいですしね、知らない人ばっかぞろぞろ引き連れてるなんて。後ろで「うわーすげー。学校がこんな豪華な意味あんの?」とか「ここまでくるとちょっと引く」とか囁かれてるの聞こえてますしね。そこ!小声で喋ってるつもりだろうがこっちは無言なんだから筒抜けだぞ!
やっぱ氷帝って他の学校から引かれてんのか……、と氷帝学園の生徒として微妙な気分になりながらも無事コートに到着すると、更に氷帝が引かれてしまうような事態が待ち受けていた。
「跡部部長、何で他校の出迎えにわざわざうちの妹に行かせるんですか!準マネの人でいいじゃないですか!!が行くくらいなら俺に行きましたよ!!」
「うるせぇ!行かせるわけねぇだろうがこの馬鹿が!!お前は大人しくアップしとけ!!」
何やってんだよ、あの人……!
ほんとに勘弁してほしい。意味が分からない。せめて他校生がくる時くらい大人しくてくれてもいいじゃないか、なんて思うのは贅沢なことなのか……!私、跡部先輩のこと可哀想だなんて思ったの初めてだよ。あんな力の限り叫んで……。お労しや、跡部先輩。
先輩の頭の血管がついに切れるんじゃないかと若干心配になるも、しかしながら残念なことに今はそれどころではなかった。私の後ろには今しがた案内してきた立海テニス部御一行――つまり、兄のシスコンぶりなど知るわけもない、他校生がいるのだ。
嫌だなぁ逃げたいなぁと軽く現実逃避しながら、ちらっと横目で後方を確認する。案の定、立海の皆さんは目の前の光景に戸惑いざわめいていた。普通に練習試合に来てみれば相手校の選手と部長が喚き合い、他の部員達が死んだ魚の目でそれを見守っているんだから何やってんだと思うのも当然である。何の騒ぎだ。
「君……少し聞きたいんだが。あれはレギュラーの鳳と部長の跡部だと思うのだが、彼らは一体何を?」
「え?あ、ああー……なんというか、部員の教育といいますか……彼ちょっと頭がアレで……」
近くに立っていた糸目で特に背の高い人にそう問われ、どう説明したものかと思わずごにょごにょと口ごもってしまう。わざわざ他校を招いてるってタイミングで、不甲斐なくも問題を起こしたと思われるのは避けたい……!けど、あれをどう説明しろと!
私の曖昧な返答を受け、「頭が、アレ……?」と糸目の人が不可解そうに繰り返す。ああやばいちょっと本音が!と撤回しようとしたが、やはり咄嗟に上手い説明を考えることができないでいるうちに「頭がアレ?」「アレって?おかしいっつーこと?」「どっちが?銀髪の方っすか?」などとその言葉だけが周りに波及し始めてしまった。やばい!どうしよう!これじゃうちの兄の頭がおかしいということが広まってしまう!!
わあああちょっと待って今のはなしでお願いします!なんて心の中で叫んでみても、当然ながらそのざわめきが止むことなどあるわけがなく。とりあえずこの変な空気をどうにかしなくては、と思うあまり私はよく考えることなく口を開いてしまった。
「いえあの……だ、大丈夫です!あの人、ちょっと頭はおかしいですけど、テニスは問題なくできますから!!」
「……ちゃん、まだ落ち込んどるんか?」
スタンドのベンチに座って膝を抱えていると、ラケットのガットをギシギシいわせながら近寄ってきた忍足先輩によしよしと頭を撫でられた。
当たり前です……と小さく呟くと、忍足先輩は苦笑いしながら顔を覗きこむようにして私の前にしゃがみ込んだ。
「…………いくらテンパッたからって、あのフォローはないですよね。ていうか、全然フォローになってませんでしたもんね。むしろ貶めてた……」
「ん、まあ、せやなぁ。アレはなぁ……」
「ですよね……立海の人達の、あの、『え?この子何言ってんの?』みたいな顔といったら……!!」
ああ、思い出すだに恥ずかしい……!何であんなことを口走っちゃったんだよ私!頭銀色の人に至っては一拍置いてから吹き出してたし……!!
恥ずかしさに身悶えながらぎゅっと膝に顔を埋める。その途端私の真横でダンッ!と大きな音がして、驚いて思わず顔を上げるとすぐ傍には隣のベンチから飛び移ってきたらしい向日先輩がいた。
「元気出せって!今から鳳の試合だし、何も考えずに応援しとけ応援!!そーすりゃそんなんすぐ忘れちまうって!」
ニッと明るく笑って、鳳がちょっと頭おかしいのなんてほんとのことじゃん!と先輩は悪気なくそう言い放つ。(先輩も全然フォローになっていない)それに合わせるようにして、忍足先輩も「せや、2年のレギュラー対決やるらしいで」と続けた。
ほら、と先輩が指したコートには確かにちょた君と、くしゃっとした髪の毛の多分テニプリのキャラだと思われる人がネットを挟んで向かい合っている。本当にちょうど始まるところらしい。
「レギュラー対決?シングルスで、ですか?ちょた君が?」
「あー、まあ向こうの切原っちゅう2年はモロにシングルスプレイヤーやし、相手に分があるんは分かっとるんやけどな」
「ま、練習試合だかんな。鳳の腕試しだよ。ダブルスはいいけど、シングルスではどんだけやれっか、って」
あれ、でもちょた君ってレギュラーだけど、シングルスでは準レギュの日吉先輩に負けちゃってたよね……?本気でやらせんの?同じ2年とはいえ、強豪校のシングルスプレイヤーと?
マジで分が悪いなソレ、と思いながら先輩達と一緒になって観戦していると、なんというか、あっという間に!とまでは言わないけど結構あっさり押され気味になっちゃってます。サーブの威力でなら俄然勝ってるんだけどね……。
このまま負けちゃうのかなぁ、と大人しく試合の経過を見守っていると、忍足先輩がよっしゃ、と言いながら私の方へ視線を寄越した。え、何がよっしゃ?
「ちゃん、出番や!鳳に喝入れたり!」
そう言うが早いか先輩は立ち上がり、「鳳ィ、お前そのまんま負けるなんや格好悪い真似せぇへんよなぁ!妹が見とんでー!!」とコートに向かって叫んだ。その途端ちょた君だけでなく皆の視線が忍足先輩へと集まり、それから隣の私へと移される。
や り や が っ た こ の 丸 眼 鏡 … … !
何してんの?何してくれてんのこの人?何だってさっきまで羞恥で打ち震えてたってのに、またこんな注目集めるような真似しなくちゃなんないんだよ!
さ、言うたって!とでも言うようなイイ笑顔で私の肩をポンと叩いてくる忍足先輩に、本気で殺意が芽生えそうになった。その不必要な眼鏡叩き割ってやろうかという思いを込めて忍足先輩を思いっ切り睨みつけてやったが、やっぱりそんなことをしても向けられる視線は減ったりしない。
私はこれでもかというほど視線の集まっている今の状況に半ば自棄になって、半泣き状態で「お兄ちゃん頑張って!!」と大きく叫んだ。
その直後、いつもより数段力強く速度の増したものになったサーブをちょた君は完全に持て余し、コントロールゼロの殺人サーブ(言葉通りの意味で。あれは当たったら本気で命に関わるに違いない)でフォルトを量産して更にあっさりと敗北した。
ちょた君がコートから戻ってくるなり私達三人がその場で正座をさせられ、跡部先輩の説教を喰らう破目になったのは言うまでもないことである。
立海の人達が見ている中で正座をさせられた瞬間、私は向こう一週間は忍足先輩と兄を許しはしないと誓いました。
Afterword
立海との練習試合だけど立海はいるだけっていう。まあコレは立海遭遇編への布石なんで仕方ないです。
氷帝は対外的なトコすごい気にしそうなイメージがあります。学校単位で外面が良いというか、体面気にしてそう。
2009/09/19