リアル森の熊さん 1
夏真っ盛り。そんな言葉が相応しい、ジリジリと肌を焦がすような強い日差しに私はぐい、と乱暴に額を拭った。
日焼け止め塗ってきて良かった。カーディガン羽織ってきて、本当に良かった。危うくキャミソールで家を出るところだったよ、ありがとう沙代子さん……!!
「つか、もうちょい頑張ってよオゾン層……!」
まだ家から駅までと、駅からここに来るまでの間しか日光を浴びていないはずなのに既に凄く日焼けしたような気がする。
私、日焼けすると黒くなるっていうか赤くなって結構長い間ヒリヒリしてるタイプだから後が酷いんだよね……。あんまり色が黒くならなのはいいかなーとか最初は思ってたけど、これはこれで中々に辛い。
今日からこの会場では、中学硬式テニス部の関東大会が始まる。関東大会というと、アレだ。我等が氷帝学園のテニス部からすると、漸くレギュラー陣に出番が回ってくる公式試合。要するにうちの兄がレギュラーとして公式試合に出る、初の舞台なわけで。
詰まるところ、今日こうしてぶつぶつ文句を言いつつも基本的にインドア派な私が、態々こんな炎天下の中に飛び出して来たのは一重に兄のためなのだ。「今度の大会、俺、宍戸さんとのダブルスで登録される予定なんだけど……、見に来てくれる?」なんて期待に満ちた目で見られては、なんだかんだブラコンなのを自認している私としては断るわけにはいかない。
とか何とか言いつつ、これはもう半ば意地みたいなもんですけどね!
だってさ、だってさ、跡部先輩ってば部活の時は私のこと普通に顎で使うくせに、特に仕事もない試合の時となると連れてってくれないんだよ!?そりゃ私テニス部員じゃないけど!(でもクラスの子に「え?ちゃんってテニス部に入ってるんじゃないの?」って驚かれるくらいにはテニス部!)
ていうか連れてってくれないどころか、“ええー、お前来んのかよ”みたいな顔で「下手にお前が応援すると鳳が力み過ぎんだろうが」とか言われるしね。分かってるよ、私だって分かってるよそんなの!でも本人の希望だもの!見に来てって言われたんだもの!そりゃ私のせいでちょた君の調子が崩れて負けちゃったら大変だけど、でもなんっか悔しいから意地でも行ってやるから!!(でもマジでちょた君がフォルト連発とかしたら怖いから応援は控えますよ!公式試合でそんなことしたら正座で説教じゃ済まされないもの!)
「もー、跡部先輩のばかやろー」
こそこそと本人の前で言えない言葉達を吐き出しつつ、ちょた君達がいるはずのコートを目指す。なるべく日陰を選びながら気楽に歩いていると、その途中で屋外時計があるのを見かけてその時針や分針が指し示す時刻にギョッとした。えっ、試合始まる時間から結構経っちゃってる!!余裕こいてる場合じゃないんじゃないのコレ!?
まずいまずい、と慌てて日向に飛び出すと、途端にじわりと上がる体温を無視して私はちょた君達がいるはずのコートに向かって走り出した。きっと駅から会場に来るまでにちょっと迷っちゃったせいだ!でもそれもしょうがないと思う!だってここ初めて来るし、地理がよく分かんなかったんだもん!!
誰に向かってするでもなく心の中で言い訳を並べて、頭の隅で日焼けの心配なんかもしながら必死に足を動かす。すると突然、後ろから「そこの女子、待たんかぁ!!」という怒号が飛んできた。時計を見た時より余程ギョッとしながら慌てて振り返ると、そこにはもの凄い速さでこちらに向かってくるオレンジっていうか黄色っていうか、そんな色の何か。それを視認した瞬間、私は直感した。逃げ遅れたら、死ぬ。
それから私の足が再び動き出すまでの時間は多分零コンマ何秒とか、そのくらいのものだったと思う。とにかく考えるより先に私は走り出していた。当然だ。悠長に構えてなんていたら死んでしまう。
「待てと言っているのが聞こえんのか!」
そんな大声が聞こえてなかったら確実に聴覚障害だ!とか、貴様こそこっちが待つつもりがないことくらい分からんのか!!とか心の中でどうでもいい反論をしつつも、そんなことで体力を消耗するよりも私は足を動かした。速度を緩めでもすれば、すぐにあの鬼だか巨神兵だか分からない人影に捕まってしまう。立ち止まったら死!立ち止まったら死!と唱えながらとにかく私は走り続けた。
それからどのくらい経ったのか、長いこと走っていた気もするし、ごく短い距離だった気もする。それはよく分からないが、最終的に私はガシリと肩を掴まれ強制的に立ち止まることを余儀無くされてしまった。
「いっ、いやあぁぁ!!ごめんなさい!ホントごめんなさい!よく分かんないけどごめんなさいぃ……!!」
「なっ、おい、何を謝って……ま、待て、何故いきなり泣きそうになっているんだお前は……!?」
待て!泣くな!!と大きな声で制されるが、ぶっちゃけそんなのどうでもいい。ヤバイ。私死んだ。終わった。さよならちょた君。さよなら国君。は夜空のお星様になるみたいです。
そんな通常時であれば何を馬鹿なことを、と思うようなことを真剣に考えながら、私は顔を覆ったままゼイゼイと息切れするのも構わず「ごめんなさい、ごめんなさい」と何に対する謝罪なのかも分からない言葉を只管繰り返した。すぐ近くでは依然として「おい待たんか!」とか「話を聞け!」とか焦った声がしている。
暫くそんな感じでぎゃあぎゃあ騒いでいると、急にポン、と頭に手を乗せられて、思わずビクリと肩が揺れた。
「まあ落ち着け。弦一郎も、そう詰め寄らず少し離れてやれ」
ぎゃあ、鬼が!巨神兵がついに!とか思ったのも束の間、頭上から降ってきた声はさっきの怒号とは異なる人物のものだった。しかしだな蓮二……、とかなんとか言っているのがさっき怒鳴ってたのと同じ声の人ってことは、この私の横に立ってる人って一体誰……?
第三者の登場で若干冷静さを取り戻すことができた私は、顔の前から手を少しずらして恐る恐る顔を上げて頭上を仰ぎ見てみた。そこにはなんというか、鬼というよりむしろ菩薩っぽい顔の、綺麗な男の人が。
「…………えぇ……?」
「落ち着いたか?」
そう言って私と巨神兵的な人の大騒ぎなんて全く意に介していないような涼しい表情で私を見下ろすその顔は、どこかで見た覚えのあるものだった。
Afterword
お待たせしました立海勢。まずは真田と柳です。とりあえず真田可哀想。
でも一人きりの時に真田が自分の方へマッハで走ってきたら無条件で逃げ出したくなると思います。お年寄りならショックで心停止してるところだよ、このばかやろうめ!
2009/10/10