リアル森の熊さん 2


「すみません、ごめんなさい、本当にご迷惑お掛けしました……!」

 菩薩っぽい男の人が現れてから数分後、私はさっきまでそうしていたように再び彼らに平謝りしていた。
 その菩薩的な人(柳さんというらしい)は、なんだか見た覚えがあると思ったらついこの間あった練習試合の相手である立海大付属の人だった。そしてさっきまで私が心の中で散々鬼だの巨神兵だのと大騒ぎしていた人(こっちは真田さんという)も、やっぱり立海の人だった。
 そう言われてみれば確かにその厳つい顔は見たことがある気がするし、二人が着ているこのオレンジとも黄色ともつかない、なんというか芥子色?みたいなジャージにも見覚えがある。

 でも真田さん達も私がこの前の練習試合で案内をした奴だと分かっていて追いかけていたわけではないらしいのでそれはまあいいとして、そんなことより私は真田さんに対して本当に申し訳ないことをしてしまった。さっきは恐怖に駆られてただただ「ごめんなさい」と繰り返していただけだったけど、今度はちゃんと真田さんに対して謝罪をしている。
 冷静になって話を聞いてみたところ、真田さんはただ私に落とし物を届けようとしてくれただけだったそうなのだ。真田さんと柳さんは偶然私が何かを落としたのを目撃して、私がそれに気づくことなく走っていってしまったので急いで渡さなければと真田さんが追いかけてきてくれたらしい。
 話を聞いて私はさっきとは違った意味で青ざめた。これは私が悪い。はっきり言って全面的に私が悪いとしか言い様がない。例え追いかけてきてくれた真田さんの顔が『命ァ(と書いてタマと読む)寄越さんかいワレェ!!』とでも言いたげなものだったとしても、真田さんには何の罪もないのだ。むしろ真田さん、ただの善人。

「すみません……その、若干パニック体質の気がありまして……!」
「ふむ、確かにそのようだな。妙に遅いと思って来てみたらあんな状況で、流石に俺も少々驚いた」

 わぁ、素直に肯定されちゃったよ。軽い冗談っていうか、大袈裟に言っただけのつもりだったのに!
 然も有りなんと頷く柳さんに軽くヘコみながらも「本当にありがとうございました」ともう一度頭を下げようとすると、「いや、もういい。そこまで礼を言われるようなことはしていない」と真田さんに止められた。でも思いっ切り逃げたのを態々追いかけてきてまで落とし物届けてくれたんだから、そこまでのことだと思うんだけどなぁ。

「いえ、でも本当に助かりました。もし拾って下さらなかったら、後で兄も巻き込んで大捜索になってたと思いますから……」
「そんなに大事なものだったのか?そのペンダントは」
「あ、はい。ベビーリングなんです、コレ」

 ただのペンダントじゃないんですよ、と言いながら手元に目を落とすと、手の中でチェーンがちゃり、と音を立てた。真田さんが態々届けてくれた落とし物というのは、この小さな装飾品のことなのだ。

 ベビーリングというのは、子供が生まれた記念に幸福や健康を願って贈る赤ちゃん用の指輪のことをいう。一般的に誕生石が埋め込まれていて、サイズが赤ちゃん仕様なので大抵の場合ペンダントトップとしてチェーンに通して身に着けられる。
 その起源はヨーロッパにあるらしく日本では馴染みの薄い風習だが(実際私は鳳家に生まれるまで知らなかったし)、何かと洋風な鳳家では普通に私もちょた君も生まれた時に両親からベビーリングを贈られた。純銀のリングがクロスモチーフに斜めに掛けられたデザインのそれは、ちょた君とお揃いの大切なものだ。
 お守りとしていつも身に着けているが元々あんまり信心深い方ではないので『コレがなくちゃ落ち着かない!』という程ではないものの、小さい頃から常に身に着けているものなので首の辺りにチェーンの感触がないと違和感を感じる程度には馴染んでいる。多分落としても気付かなかったのはバタバタ走ったりなんだりしてたせいだろう。失くさなくって本当に良かった。

 ベビーリング?と訝しげに眉を顰めた真田さんにそうして簡単なベビーリングの説明すると、なるほどと言うように大きく頷いた。

「親から貰ったものならば大切にするのも道理だな。今度からは十分に気をつけることだ」
「はい、ありがとうございます。えーっと、それで、何かお礼ができたらいいんですけど……」

 そう言って何かないかと考えてみるが、当然ながら何もない。だって私スポーツ観戦に来ただけだし、そもそも初対面に近い人の趣味嗜好なんて知るわけないから何をすればお礼になるのかも分からない。
 どうしたらいいかな、と無意味にきょろきょろしたりなんかして迷っていると、真田さんはそんな私を「別に礼など……」と制そうとした。そしてその私を制そうとした手を、逆に柳さんに制されていた。

「では、二・三聞きたいことがあるんだが……答えてもらえるか?」

 蓮二?と訝しげな顔をする真田さんに見向きもせず、柳さんは薄っすらと笑みを浮かべる。直後、正に立て板に水という勢いで喋りだした。

「まずお前の兄について。以前行った練習試合だが、お前が声を掛ける前と後とを比較してみたところ俺の目測によれば鳳のパワーは約1.7倍になっている。特にあのスカッドサーブのスピードだが、通常時の鳳であれば大体200キロ弱。しかしお前の声援の後では……」

 ぺらぺらぺらぺら、ぺらぺらぺらぺら。
 矢継ぎ早に次から次へと喋り続ける柳さんに、暫らくの間呆然としてしまった。あまりの勢いに、「すげー、この人よく噛まないなぁ」なんてどうでもいいことばかり考えてしまう。真田さんはといえば、仕方がないという風に軽く溜め息を吐きながらギュッと帽子を被り直していた。

「それでだ、鳳。お前に意見を聞きたいのだが……」

 ぼやっとしていたところに突然の問いかけられ、焦りながらも「はっ、はい!」と返事をすると今度は次々に質問を投げかけられる。全然二つ三つどころじゃない!と内心で叫びながらも勢いに押されてそれらの質問に答えていたが、暫くしてハッとした。そうだ、ちょた君の試合!!

「あのっ、すみません柳さん!お礼の代わりならなるべく答えたいんですけど、兄!兄の試合が!」

 携帯で時間を確認しつつそう叫ぶと、「ああ、それなら問題ない」と余裕の表情で返された。

「お前の兄は恐らくD1に登録されているな?それならばまだ大丈夫だ。D1の試合開始まで、俺の予測ではあと数十分程度時間がある」

 もう何なのこの人……!俺の予測って一体どういうことなの!?
 それってそんなに正確なの?信じてもいいの!?と混乱しつつ、再び質問責めにされること数分。「ふむ、ではこのくらいにしておくか」と柳さんが多少満足した様子(飽く迄も“多少”だ。まだまだイケるぜ!って感じのオーラはガンガン出ている)で口を閉ざす頃には、私は何だか妙に疲弊していた。

「悪いな、他校のレギュラー選手の家族と話す機会など滅多にないものだから少し調子に乗ってしまったようだ」

 そう言って僅かに口元を上げて微笑する様は非常に涼やかだが、その調子に乗った末の行動は中々にえげつない。炎天下の中で質問責めにされた私はもう汗塗れだ。まあコレはさっき走ったせいもあるんだけど。

「しかし、アレだな。お前の兄はなんとういか……はっきり言って異常だが、お前自身は比較的正常な感覚を持っているようだ。そんな環境で常識を身につけるのは中々難しいように思えるが」

 きちんと自己を確立できているということか、と褒めるようなニュアンスで言われるが、正直喜べはしない。褒めるとみせかけて家族を貶すとは。いや、確かに異常だと思いますけどね、うちの兄。
 だからって直球すぎるよほぼ初対面なのに、とか思いつつ「はあ、そうですか……」と気の抜けた返事をしたりしていると、不意に横からスッと真っ白なタオルが差し出された。

「え、あの、これは?」
「汗を拭くといい。安心しろ、勿論未使用のものだ」

 ずい、と押しつけるようにして手渡され、思わず受け取ってしまう。えええ、いいの?落とし物拾ってもらった上に、何もお礼できてない(だって柳さんへのお礼は全然真田さんへのお礼にはなってないし)のにタオルとか貸してもらっちゃって。
 いいの?マジで借りちゃていいの?とタオルを持ったままオロオロしていると、「すまない、日陰に移動してからにすればよかったな」なんて少し眉を下げながら柳さんまでタオルを使うよう勧めてくれた。うん、じゃあもう遠慮なく使わせてもらっちゃいます。実際かなり汗かいてるし。

「後できちんと水分補給もした方がいいだろう。この天気では熱中症になる虞もある」
「そうだな。向こうに自動販売機がある、そこで何か買ってから行くといい。それから歩いてコートへ向かえば、ちょうどD1の試合に移行する頃合だろう」

 炎天下の中柳さんは涼しい顔を崩さないまま『お前本当に何者なんだ』と聞きたくなるようなことをサラッと言いながら、自販機があるらしい方向を指で示した。
 それじゃあありがとうございました、と最後にもう一度頭を下げてから真田さんたちと別れて、そろそろちょた君が得意のサーブをかっ飛ばし始めるらしいコートに向かって歩き出す。
 手の中にあるタオルを見つめて、また会場に来なきゃいけない用事ができちゃったなぁ、と一人ごちた。










Afterword

真田と柳のコンビで、柳の方が配慮に欠けるという世にも珍しい事態に。最初は真田メインの話だったはずなのに、書き終わってみたら柳が妙に出張ってて自分で驚きました。とりあえず参謀自重。
でもレギュラーの私生活に大きく関わってる家族となんて会ったら、データマン達は地味にテンションが上がっちゃうと思うんだよ。
2009/10/17