銀の方程式、崩壊 1
「あーもう、ホント皆どこ〜……!」
逃げ込んだ日陰にぐったりとしゃがみ込み、イライラと小さく呟く。あー、暑い暑い暑い!皆見つかんないし、暑すぎるし、もう嫌!もう動きたくない!
ええまあ、分かるとは思いますが、はぐれました!皆と!この歳になって改めて迷子とか、我ながら自分ないわぁ。
氷帝学園のまさかの敗退(らしい。以前読者だった私としては「どうせ青学はどこと当たっても勝つんだろうし」的な考えだったので意外でも何でもなかったけど)から1週間。もう試合もないので『会場では不用意に兄に近づいてはいけません』令も解かれた私は、ちょた君に「も行こうよ!」と爽やかに誘われて再びこの関東大会の会場へと足を運んでいた。
まあ、ちょた君に誘われたっていう以外にも、もしかして運良く真田さんにタオル返せたりしないかなー、なんて思ったっていうのもあるんだけど。
しかしながら皆とはぐれてしまったこの状況ではタオルがどうのなんて言っていられない。とりあえず合流しなくては。まあ私にできることと言ったら、見つけてもらえるのを待ってじっとしているか、皆を探してうろうろするか、ぐらいなんだけど。
というのも、残念なことに今の私は何一つとして所持していないからである。私のバッグは、ちょた君の強い厚意により彼が全て持ってくれていたのだ。さっき言っていた真田さんのタオルは勿論、会場の見取り図も対戦表も、携帯までもがその中に入っている。つまり、連絡をとることもできないし、皆が観戦しに行きそうな場所を予想することもできなかったりする。だからそんな非効率な行動しかとれないのだ。
ああ、合流した途端に跡部先輩とか日吉先輩から馬鹿にされそうで嫌だなぁ……。ていうかよく考えたら私が居なくなるとちょた君が異常なまでに慌てるだろうから、馬鹿にされるっていうより超文句言われそう。うわ、更に合流したくなくなった。
「あーもう、いっそのこと合流を遅れに遅らせるとか……」
面倒事をすぐに後回しにしてしまう、という日本人の駄目な国民性をフルに発揮した考えに傾きかけていると、ふと見覚えのある色彩が視界の端を掠めた。疎ましいぐらいギラギラと輝いている太陽の光を反射する、涼しそうな色合いの白銀。こんなスポーツに精を出す中学生ばっかりの会場で、あんな色の頭してるのはうちの兄しかいない!
やった、意外と早く見つかった!と喜び勇んで立ち上がり、遠ざかりそうな銀色に向かって急いで駆け寄る。こんな時に限って何処かへ移動するところらしい名前も知らない学校の皆様に道を阻まれたりして、内心で「なんつうタイミングで移動してくれてんだボケ!」なんて決して口には出せない理不尽な文句を吐きながらも私はとにかく走った。
そしてその団体の横を駆け抜けた先、ちょた君!という呼び掛けと共に目当ての銀色の元へ突撃した私はその瞬間絶句した。
え、えええ、ちょっ、ジャージの色違ぇぇえぇ!!
ままま、まずい。これはまずい。全然氷帝ジャージと色違う。うちのジャージ灰色っぽい水色とか白とか寒色系がベースなはずなのに、私が今掴んでる布は何でオレンジ色なの。いや、オレンジ色っていうか、黄色?ああ、なんていうか、芥子色って言うのかな?あれ、何かこんなことついこの間も考えた気がする。あーそうそう、真田さんだわ真田さん。真田さん達が着てた立海のジャージね。えっ、ちょっと待って、てことはこの人うちの兄じゃ……
「……なんじゃ、お前」
あ り ま せ ん よ ね ー !
そう心の中で叫ぶと同時に、シュバッと光の速さ(気分的には!)でお兄さんから距離をとる。うわあ、お兄さんめっちゃ訝しげー!!
ええまあ分かってましたよ。ちゃんと分かっていましたとも!掴んだのが氷帝ジャージじゃないことに気づいた瞬間、人違いだと!ただちょっと現実逃避しかけてただけです!
どうしよう!ガチで間違えた!間違えて知らない人にタックルまがいのことしちゃった!しかも「ちょた君!」とか思いっ切り呼び掛けながら!!
あー何でよく確認しなかったんだよ私!いくら暑さに頭をやられてたからって、早めに合流できて「あんまり文句言われないで済むかも!」とか期待しちゃったからって!よく見ればこの目立つ色のジャージを着た人がうちの兄な訳ないことぐらい分かったでしょうに!
ていうかアレだよね、今思い出したけど、この人私がこの前の練習試合の時に見掛けて「うちの兄以外にもこんな髪色の中学生がいるとは……」なんて感想を抱いた人だよね。くっそ、忘れてた……銀色はもうちょた君だけの色じゃないんだった……!
目の前に立つ、なんというかひょろっとしたシルエットのお兄さんから注がれる視線に耐えながら、あー私の馬鹿!と内心で己を罵りまくった。なんで気付かなかったんだ!なんて今更自分を責めても意味がないことぐらい分かってはいるが、つい思ってしまう。勢いで突っ込んでいかなきゃ気付いてただろうな、って辺りが妙に悔しい。ああいや、そんなことよりもとりあえず謝らなきゃ!そんで逃げよう!早くこの気まずい状況から脱出しよう!
「あ、あの、すみません、人違……」
「ああ、お前さんアレか。氷帝のシスコン妹」
早速謝ってさっさと逃げようと口を開くと、銀色のひょろいお兄さんは私の台詞に被せるようにしてズバッとそんな言葉を放った。唐突な台詞に一瞬呆気にとられたが、その後すぐ反論の言葉が頭に浮かぶ。それじゃ私がシスコンみたいだろうが!『シスコン妹』じゃなくて『シスコンの兄を持つ妹』だ!!
心の中だけでそう叫んでみるも、初対面の妙にツラの良い(そろそろ慣れたけど。美形だろうとこんだけ周りに溢れてればそりゃゲシュタルト崩壊もするっつの)お兄さんに実際にそんなことを言うのは躊躇われて、何やらもごもごと口篭ってしまう。
「ええと、とにかく、人違いで……」
「……?なんじゃ、兄貴と間違ったんか?背格好にしろ着とるジャージにしろ、お前さんの兄貴とはだいぶ違うと思うが……よう間違えたもんじゃの」
「す、すみません……」
尤もなことを言われて思わずいたたまれなさに身を縮こめるようにして謝れば、お兄さんは「まあ、別に構わんが……」と言いながらジロジロと遠慮の欠片もなく私の全身を上から下まで眺め始めた。ええー、私が悪かったとはいえ不躾過ぎないかこの人。
何なんだ一体、なんて思ってこちらも負けじと怪訝そうな視線を送ってやると、唐突にガシッと腕を掴まれてお兄さんの方に体が傾いた。
「え、なに……っ、う、わぁ!!」
相手の突然の行動に慌てて顔を上げようとした瞬間、ふっと急に地面が遠ざかった。えっ、ちょ、何で私担がれちゃってんの!!
いきなり過ぎる展開に混乱しつつも「ちょ!降ろして!」と足をバタつかせると、「大人しくしとらんと落ちるぞ」という言葉と共にお兄さんは私を乗せた方の肩をグンッと勢いよく跳ねさせた。必然的に私の体は一瞬とはいえ宙に浮き、その恐怖を伴う浮遊感に思わず固まってしまう。こ、このやろ、マジでビビッた……!
これが幼い頃なら多少不安定でも子供の体くらい支えられるだろうとある程度安心していられたが、今となっては私ももう中学生。お兄さんの方がずっと大きいとはいえ大人と子供程の体格差はないし、肩に担がれただけのこの状態で暴れたりしたら不安定どころの話じゃない。ていうかお兄さん背は高くてもやたらひょろいし、不安。マジで落ちて頭打つかも。そんな思いで普段より30センチくらい上の視界から見下ろす焼けたコンクリートは、何だかやけに恐ろしく映った。
「なに、悪いようにはせん」
立海のひょろいお兄さんはギュッと身を固くして動かなくなった私に満足したのか少し愉快そうな声色でそう告げると、私が地味に恐怖を感じ続けていることなんて知らないとばかりにゆったりとした調子で歩き始めた。ああもう、いいからとにかく地に足をつかせろ!
「あのー……まだですか……?」
「んー?そうじゃのー、もう少しかのー」
「何か、さっきからそればっかなんですけど……」
歩き始めてから繰り返し続けている問答に、はあ、と思わず溜め息が零れる。一体いつになったら降りられるやら。
実際にはまだ歩き始めてから大した時間は経っていないんだろうけど、早く着け早く着けと念じているせいかその目的地がやけに遠いように思えた。ずっとお腹も圧迫されっぱなしで、流石にちょっと苦しくなってきてるんですけど……。
はあ、とまた大きく溜め息を吐きながら、くたっと力なく項垂れる。それと殆ど同時に、背後(私にとっては。私を抱えているお兄さんにとっては前方だろう)から「仁王君!」という咎めるような調子の声が聞こえてきて、体勢を崩さないようそーっと後ろを振り返ってみればそこには見事な七三分けの眼鏡さんが居た。ああ、この人も確か練習試合の時に見たような。
「まったく貴方という人は、自分の試合が終わったからと言って……、仁王君?あの、そちらの方は……」
「おう、コレな」
よっ、と小さな掛け声と共に漸く肩から降ろされ、そのままクルリと体を回されて眼鏡さんの目の前に立たされる。何なんだよホント、と思いつつその人を見上げると、向こうも困惑した表情で私のことを見ていた。うん、正しい反応だ。
「可愛えじゃろ。向こうで拾った」
「拾……?」
「ええええ……!」
拾ったっていうか拉致じゃん!
ひょろいお兄さんのとんでも発言に思わず声を上げると、眼鏡さんはその不透明なレンズの奥で驚いたように目を見開き、その後「仁王君……」と呟きながら頭が痛いと言うように疲れた顔で額を押さえた。
その瞬間、思わず「あっ、この人きっと苦労属性!」と私が場違いな親近感を覚えてしまったのは、仕方のないことなんだと思いたい。
Afterword
申し訳ないけど、最近仁王が熱くて我慢しきれずに書いた。早く仁王の特殊設定を披露したいなぁ……。
2010/05/07