Perfume

君の幸福を願う幸せ

よろしく新世界



 まず今の私になって意識がはっきりとしたのは、多分1歳くらいの頃。ふっと目を覚ますとそこはやたらと綺麗な部屋の中で、私は所謂ベビーベッドというヤツに寝かせられていた。動こうとしても体(ていうか、胴体?)が重くて微妙な寝返りしか打てず、隣にはそれはそれは可愛らしい顔立ちの見知らぬはずの子供が。

 初めはそりゃもう、すこぶる意味が分からなかった。
 何が分からないって、隣で安らかな寝息を立てていた子供がだ。そりゃあその状況自体全部意味が分からなかったんだけど、何よりもその子、『見知らぬ“はず”の子供』が問題だった。

 何でだろう、何でか分からないけど、私、この子のこと知ってる。

 そう、思った。
 そしてそう思った次の瞬間、私は更に混乱することになった。分かったのだ。その状況が全く理解できないのに、その環境のことだけは。


 ここは不二家のリビングで、隣に寝ているのは双子の弟である周助。
 ソファーに座って読書をしているのが姉さんで、その向こうで生まれたばかりの裕太を微笑ましそうに眺めているのが両親。
 そして私は、この家で2番目の子供にあたる、次女の“不二”だ。


 分からない。何故それを私が知っているのかは分からない。でもそれが揺らぐことの無い事実であることだけは、私の脳は既に理解していた。
 西の空に沈んだ太陽は、時を経て東から昇るのだ。
 生きとし生けるものはいずれ老い朽ちていき、その最後には等しく死が待ち受けているのだ。
 つまりは、そういうことだった。真理だった。その知識は真理として、何時の間にか私の頭に捻じ込まれていた。

 理解はできても意味が分からない状況に、私は混乱して、取り乱して、とりあえず泣くしかなかった。本当にそれしかできなかった。だって、その時の私は1歳児だったんだから。以前の私が自力でできていたことを考えれば、今の私は泣く以外ほぼ儘ならないようなものだった。
 その後も混乱したり混乱を通り越して急に冷静になったり、そしてまた混乱したり。とにかくあわあわしながら色々なことを必死に考えて、考えて考えて考えて、考え抜いた末に私は悟った。

 そっか、この状況、考えても無駄なんだ。

 恐らく今の私は俗に言う生まれ変わりとかってヤツで、今の記憶とかの他に前世の記憶とか、そういうのを持っちゃってる状態なんだろう。あ、でもそうすると前の私って死んだか何かしたのかな?前後の記憶が凄く曖昧でよく分かんないんだけど。でもまあその辺の詳しいとこはとりあえず置いておくとして、そういうことで納得しておくことにした。無理にでもこの辺で納得しておかないと、またぐちゃぐちゃに混乱してしまう。
 とにかく、こんな状況について「何で?どうしてそうなったの?」なんて考えることは無意味だ。普通に生まれて、「私はどうして人間として生まれたんだろう。何で?」と考えるようなもんだろう。どんなに考えても分かるはずがないことだ。そんなことに時間を費やすのは、はっきり言って無駄以外のなにものでもない。なんて、その結論に達するまでに私は相当な時間を要した訳だけれども。でも仕方ないっていうか当たり前だよね。混乱しないわけないもん、こんなの。

 まあそういうわけで、私はもう今の状況について深く考えるのをやめた。考えてもどうにもならないし、「こんなのやだ!帰りたい!」なんて嘆いたってそれこそどうしようもない。しかもあの頃に戻りたいと強く願うほどの要因が、私にはないのだ。上手くかないことが沢山あって、色々なことが嫌になっていた。恋人や家族には悪いけど、心の底から大切だと思う人も特にはいなかったし。大切じゃなかったわけじゃないけど、それも忘れた方がいいんだと強く思えば割り切ってしまえる程度の感情だった。

 こうなったらいっそ思い切りポジティブに考えよう、と私は決意した。

 私、生まれ変わったんだ。しかも前世の記憶が有るってことも、以前の失敗や後悔を生かせばより良い人生を送れるってことなんじゃないの?やったね、こうなったら最高の人生目指しちゃおう!

 私は運がいい。これから幸せな人生を送れるんだ。そうやって自分に言い聞かせて。










 それからの月日は、本当にあっという間だった。
 何やらその環境の知識はそれなりに揃っているとはいえ慣れない幼児の体での生活は不便なことも多いし、以前の記憶があるが故の苦労(幼児っぽい言動を心掛けるよう苦心したり)もあって、色々なことに気を配りながら過ごしているとすぐに1日が過ぎてしまう。まだまだ体力の少ない幼児の体は何かというと睡眠を欲するというのも、多分理由の一つだと思う。まあすぐに眠くなるのは精神的にも疲れることが多いからかもしれないけど。

 ともかく色んなことが自分でできないというのはとても不便なので、早々に自立歩行できるようになったり、階段の昇り降りができるようになったり、脱オムツしてみたり。
 そんな風に計画通りに進んでいく己の成長にほくそ笑んでいるうちに、私はもう幼稚園へ通うような歳になっていた。当然それは双子の弟である周助にも言えることで、その年、私達は揃って姉も通ったというそれなりに名の通った幼稚園へと入園した。