縋る瞳に気付いた日
今までは色々な身体機能が未発達なせいで家の中という狭い世界でもそれなりに大変なことは多かったけど、家の外に出るとやっぱりまた違った苦労があった。もう身体的にそれなりに成長してるし、今までより広い世界であることは別に問題ない。問題だったのは同じ年頃の子供が大勢いるという、幼稚園という場所を考えれば当たり前のことだった。
同い年の子供がいるってことは、比較対象が存在するってことだ。それはつまり反則幼児な私と、普通の幼児の間にある違いが分かりやすく浮き彫りになってしまうってことだった。
今までも双子の片割れというお互いに1番比較されることが多い存在がいたはずなんだけど、周助は驚くことに「いつまでもオムツの世話されるとか恥ずかしすぎる!」なんて1歳の頃から早々に成長してしまおうと努力し始めた私につられるようにして、同じような早さで成長した。そのお蔭でちょっと早すぎな私の成長速度にも母さん達は「うちの子は成長が早いわねぇ」ぐらいの反応で、私としてはともて助かったんだけど。そんな私達の成長ぶりもあって、うちではむしろ1つ下の裕太が「少し成長が遅いのかも」なんてちょっと心配されていたくらいだ。裕太はただ標準的だっただけなのに。
そういうわけで私は家の中のそんな評価に慣れてしまっていたせいもあり、入園当初、なんというか身体能力や知能なんかの力加減をちょっと間違えてしまった。色々やりすぎたというか、出来すぎたというか。とにかく普通の幼児ではできそうもないことをさらっとやってしまったわけで。
しかもそんな私の隣で、周助もまた色々な場面でその賢さを遺憾なく発揮してみせたからもう大変。周りの一般的な子達と比較された結果私達は、『天才不二姉弟』として先生方や園児のお母様方に持て囃されることになってしまったのだ。
そんな事態になって、当然ながら私は「これはちょっと頂けない状況だぞ」と焦った。だって、天才なんて言われても私は不正をしてるようなものなのだ。そんな評価をもらってしまっても困る。中身はその程度のことできて当然の年齢だったヤツなんだから。
それから私は努めて普通の子供と同じように振る舞おうとしたけど、どうにもその事態を上手く治めることはできなかった。それというのも、紛い物の私と違って弟の周助は本当に優秀な子だったからだ。後ろめたいからと私が極力目立たない振る舞いを心掛けても、そんな私の都合なんて知るはずもない周助は普段通りに過ごす。そしてその周助の普段通りの振る舞いというのは幼児にしては出来すぎたものが多く、その度に周囲から賞賛を受けた。
それだけならまだしも、周助はいつからか、賞賛を受けた後には決まって「でも、ちゃんも……」と矛先を私へと向けるようになった。私も私で、周助にそう言われてしまうとついそれに応じてしまう。だって、その時私が首を縦に振らないと、周助は驚いたように一瞬固まって、それから酷く戸惑った顔をするから。
そうして私達は親譲りの整った容姿も相俟って、不本意ながら長い間幼稚園で『天才姉弟』として何かというと大人達の口の端に上る存在であり続けた。
私達が幼稚園に入園して数年。初めみたいに大袈裟に騒がれることこそなくなったけど、「2人ともやっぱり優秀ねぇ」という賞賛がやむことはなかった。周りの人達からすれば偶に言う程度なんだろうけど、当事者である私にしてみれば言う人間が変わっただけで言われる言葉は毎回同じようなものなので、正直なところ誰から言われても「またか」なんて不遜なことを思ってしまう。まあ大人は往々にして小さな子供は大袈裟に褒めるものだし、子供は子供でその素直さから他人への賞賛を惜しまない子が多いし、仕方ないのかもしれないけど。
とにかくそんな感じで、私や周助は入園以来1日に1回は『凄いね』という言葉を耳にするような毎日を過ごしていた。
(まぁ、いい加減慣れたといえば慣れたけど……やっぱり罪悪感はちょっと感じるよね)
騙してるのと同じな訳だし、と軽く溜め息を吐きながら手に持った鉛筆をぷらぷらと弄ぶ。こうして生まれ変わる前はついクルクル回しちゃうのが癖だったけど、今はまだ指が短すぎてそんな芸当は無理っぽい。もう少し成長すればできそうなんだけどなー。や、別にわざわざペン回ししたい訳じゃないけど。
でも今の状態でペン回しなんかやったらまた周りの子に「すごいすごい!どうやるのそれ!」なんて群がられそう、なんて思いながら持っていた鉛筆をコロリとテーブルの上に転がすと、すぐ近くでわっと小さく歓声が上がった。
「しゅうすけくん、もうできたの?はやいねぇ!」
「あ、すごーい!こんなのかけるんだ!」
「あ……ううん、そんなことないよ」
隣のテーブルから聞こえてくる会話にいつものように内心で「ああ、またか」と呟く。書き取り練習の時間である今、周りの子は普通にひらがなが薄っすらと印刷されたドリルをなぞっているが、とっくにそのドリルを終えてしまった私と周助は特別に自分のレベルに合わせたドリルを持参して良いことになっていた。そのために母さんがこの間買ってきてくれたドリルは小学校低学年レベルの漢字ドリルだったから、歓声の理由はそれだろう。
「ねえねえ、ちゃんももうできたの?」
「ん?あ、ううん、まだあんまり……」
さっきからぼーっとしていたせいで、残念ながら私のドリルは始めた時から殆ど進んでいない。ひょいとドリルを覗き込んできた女の子に緩く首を振って返すと、「あれ?そうなんだ」と酷く不思議そうに首を傾げられた。その顔には大きく「周助君はもうできてるのに」と書かれている。まあ今まで大体いつも一緒だったし、そう思われても仕方ないのかもしれないけど。
でも双子だって言っても二卵性だし、顔だって似てるけどそっくりって訳じゃないんだけどなー、なんて思いつつ一応少しは進めておこうかと手元のドリルに改めて目を落とす。そして放り出してしまった鉛筆を探して視線を彷徨わせ、テーブルの中央辺りに転がる鉛筆を見つけてそれに手を伸ばしたところで「ちゃん……?」と小さな声で名前を呼ばれた。
「むずかし、かった?」
「え……?」
その声は掠れるほど小さくて、酷く頼りなげに揺れていた。視線を上げた先にはやはり周助がいて、不安そうに眉を顰め、ぎゅっと強く鉛筆を握っている。
いつものことだった。
周助は賞賛された後には私に話を振って、私が同じであると言わないと妙に戸惑う。いつもの、それだ。
今日は偶々私がぼんやりしてて、ちょっと周助よりも遅れをとったから。
ただ、それだけ。
「そんな、こと、ないよ……ちょっと、ぼーっとしてて、やってなかっただけだから」
ただそれだけ。そう思っているはずなのに、私の声まで掠れるようなそれになってしまった。
どくり。どくり。
体内を駆け巡る血流の音が、いやに耳につく。
私の返答に安心したように眉間の皺を解く周助の顔を眺めながら、私は唐突に気付いてしまった。
周助の、その行動の理由に。