誠の恋をするものは 5
青学との試合が敗北という結果で幕を閉じ、それから軽く昼食をとって少し落ち着いた頃。中途半端に刈られてしまった髪をどうにか樺地先輩に整えさせた(最初に見た時は一瞬「それなんてベッカム?」とか思ってしまった)跡部先輩が携帯で時間を確認しながら「そろそろ時間だな」と立ち上がった。
「時間って、試合のですか?どっちの?」
「青学に決まってんだろ。俺達氷帝を下したんだ、アイツらにはそれなりの試合をしてもらわなきゃいけねぇからな」
そう言って「行くぞテメーら」と一人でさっさと歩いていってしまう跡部先輩も、その後に続くレギュラーの先輩達も、あまり負けたという事実を引き摺る様子は見られない。なんだか逆にこっちがちょっと戸惑ってしまいそうな切り替えの早さだ。
まあ本当のところそれぞれどんなことを考えてるのかなんて分からないけど、重苦しい雰囲気に気まずさを覚えるよりもずっといい。
「あ、でもそういえば青学の相手はどこになったのかな?えーっと……確か、四天宝寺か不動峰だっけ」
「それなら、さっき四天宝寺に決まったみたいだよ。ストレート勝ちだって聞いたけど」
「へぇ……そうなんだ」
四天宝寺がストレート勝ち、と聞いて不意に遠山君の言っていたことを思い出した。遠山君が言ってたとおり、氷帝が勝ってればホントに対戦することになってたんだ。先輩達に聞いてみたら去年はベスト4まで残った強豪校らしいし、遠山君のあの自信も当然って言えば当然だったのか。まあ、ただそういう性格なだけっぽかったけど。
そんなことを考えていると、遠山君関連で一つあることを思い出した。そういえば、さっき電話帳に不可解な情報が追加されたんだった。
カチカチと携帯を操作して電話帳を開くと、グループ分けが未設定の一件のアドレスが現れる。ああ、そうそう、『財前』さんね。どこに分類したらいいんだろうコレ。まあいっか別に未設定のままで。多分使うことなさそうだし。大会も明日で終わりなんだから、もう流石に迷子の遠山君と遭遇する機会もないでしょ。ていうかこの3日間で毎日遭遇してたことが奇跡的だった訳だしね。毎回遭遇する私もだけど、毎回他の人達とはぐれて駆け回ってる遠山君も相当奇跡的だよなぁ。一体どんな確立で遭遇しまくってたんだろう私達。
そんな風に携帯を弄りつつ皆の後について歩いていたら、ガツッと大きめの小石に躓いて軽くたたらを踏んだ。それを見咎めたちょたくんに「、携帯見ながら歩いてたら危ないよ」と注意される。
それに「うん、もうやめとくー」なんて返しながら携帯をパタンと閉じると、今度電話帳を整理する際には真っ先に削除されそうなアドレスのことなどすっかり忘れて先輩達の背を追った。
「……や、やっぱり、なんという異次元テニス……」
立派過ぎるコートで準決勝が始まり、S2の試合が終了したところで私が抱いた感想はいつも通りのものだった。いつ見ても、皆さんは人智を超えた試合展開を披露して下さる。
少し前に中学テニスの公式戦を初めて観戦しに行った時は、私の内心はそれはもう凄いことになったものだ。物理法則って一体……?みたいな試合のオンパレードで、思わず「この人達、私と同じ種族なの?ていうかコレってテニス?」みたいな目をコートに向けるしかなかった。新たに生を受けてから12年目にして、改めてここがテニスの王子様の世界であることを思い知らされた瞬間である。
そうして関東大会を観戦することでこの人達の行うテニスという格闘技にある程度免疫を作ることに成功し(ツッコむことを放棄したとも言う)、全国大会は比較的落ち着いた状態で観戦することができていた私だが、今回の準決勝では再び色々とビビらされることとなった。テニスって、こっえー!
特にあれだ、青学の河村さんと、四天宝寺の石田さんの試合。テニスボールで人が宙を舞うってどゆこと?私達氷帝メンバーはアリーナの上の方、つまりはコートとはちょっと離れた席で観戦していた訳だけど、最初は「もっと近くで見なくていいのかな?」とか思っていた私は第一波(飛来する河村さんのこと)がコートに近い観客席を襲った瞬間に観戦場所を決めた跡部先輩を心の中で褒め称えた。さっすが先輩です!賢明すぎる!跡部先輩についてきて良かったなんて初めて思ったよ!
ああ恐ろしかった、と息を吐き出しながら意識して気分を変えようと努力する。その他にも驚いたこなんて数え切れないくらいあるけど、私は既にテニスに関しては極力つっこまないと決めたのだ。そうでもしないとツッコミ所が多すぎて精神的に疲弊してしまう。あの人達は本当に言葉通りの意味で“テニスに命を懸けて”しまっているんだから、テニスやってない私がどうこう言うことじゃないんだよ、うん。
無理矢理にでも自分をそう納得させ(この世界に生を受けてから、私の許容スキルは上昇するばかりである)、何か他に意識を移せるようなことはないかと周囲をきょろきょろと見回してみる。始まったばかりの国君の試合を観ていればいいのかもしれないが、始まって早々お互いの打球が消えだしたので観ていてもよく分からなくなってしまった。打球が見えないってのに、お遊びでラリーやったことがある程度のテニス素人にどう試合の展開を推し量れと。無我がどうとかも私知りませんし。あー、幼馴染が遠いわぁ。今度会った時に「もっと常人にも分かりやすい試合をしなさい」って言ってやろ。
結局周りを見回しても場内にいる全員が試合に集中している状況(それが正しいんだろうけど)では特にめぼしいものもなく、仕方なくよく分からないながらも再びコートに視線を戻す。そしてつまんないな、なんて私が子供っぽく足をぶらりと前後に振った瞬間、審判の反対側、ネット付近に立っていた人影がゆらりと動いた。
青学ベンチの方からは、「財前の野郎、ポーチに!」という大声がこっちにまで聞こえてくる。あ、そうだ、アレが財前さんだ。でも、「財前の野郎!」って……。コレ勝手にシングルスにしちゃってるけど、本当ならダブルスの試合だよね?責められる謂れなくね?
私がそんなことを考えているうちに、ポーチに出たらしい財前さんが一瞬の間の後にガクリとコートに膝をついた。打てなかった、らしい。
「えっと、今のは……」
「下手に手を出すからこうなる。アイツ等の試合に割り込めるような領域に達しちゃいねぇんだよ、あの小僧は」
なんと、財前さんはあんな非常識テニスには参加できないらしい!
フッと鼻で笑うようにして跡部先輩はそう言ったが、私はそれを聞いて内心で思わず「えっ、いいじゃん別に!」と叫んだ。そうだ、あんな非常識な世界に足を踏み入れなくったっていいじゃないか。あの試合に参加できないってことは、比較的常識的なテニスをするってことだ。この世界でどうなのかはともかく、私の基準で“真っ当な”テニスを。
へえー、ふーん、そう!と思わずネット脇の財前さんを凝視する。財前さんといえば私の中で“何故か急にアドレスを教えられた”ということしか印象になかったが、この瞬間にすっかり『真っ当なテニスの人』でインプットされてしまった。
国君達の試合は私が観てもよく分からなくてぶっちゃけ楽しいものではないので、そのままなんとなく財前さんを眺めてみる。こっからじゃ流石にあの五輪色のピアスは見えないなー、なんて思っていると、ふと財前さんが四天宝寺のベンチを振り返った。その先を視線で追えば、名前も知らないあの金髪の人。ふふん、うちの金髪(ジロー君のことである)のがキラキラだね!なんて我ながら馬鹿なことを考えつつ見ていると、何だか大きな身振りで一生懸命何かを伝えようとしている様子が窺えた。あれ、でも、あの人、何かこっちの方指差してない?
そう思った瞬間、財前さんが一応試合中だと言うのにその金髪の人へラケットをすっ飛ばしてバッと振り返る。あれ、やっぱこっち見てるっぽいな。何だろう、跡部先輩でも見てんのかな、やっぱり。全国でも有名らしいし。でもそれなら同じように有名らしい国君が試合してるんだからそっち見た方がよくね?
そんなことを思いながら私達のいる方を見ては何やらそわそわと忙しなく動いている四天宝寺の人達(って言っても一部だけだけど)を変なのー、なんて観察していると、近くでピリリリリという甲高い機械音が鳴り響いた。音の方向的に、多分忍足先輩だ。
先輩は音の発信源である携帯をスラックスのポケットから億劫そうに引っ張り出すと、携帯のサブ画面を睨みつけるようにして「はあ?」と低く呟いた。
「……おう、俺やけど。何しとんねんお前、出ぇへんいうても一応お前んとこの試合やろこのどアホ」
電話に出るなり喧嘩腰で話し始めた忍足先輩に「忍足先輩があからさまに喧嘩腰なんて、なんか珍しいな」と思いつつ、でもその珍しさ故に興味を向ける先を四天宝寺の人達から忍足先輩へと変えて、電話中の横顔をなんとなく眺めてみる。前髪うざったそうだなー、なんて思っていると、ふと振り返った先輩とちょっと目が合った。
それからまた普通に会話に戻っていくだろうと思ったが、忍足先輩は予想外に私の横に座席を移してきた。携帯の通話口を自分の肩に押し付けながら、私の方へちょっと体を傾けてくる。
「ちゃん、『謙也』いうやつ知っとる?」
私の耳元でこっそりとそう尋ねる先輩は、どうやら私の前の席に座るちょた君を警戒しているらしい。なので私も同じように小声で「記憶にないです」と返せば、「そか、そんなら別にええねん。すまんな急に」と小さく詫びながらすっと上体を起こして先輩は再び携帯を耳へと押し当てた。
「おい、お前んことなんぞ知らんらしいで。何でお前一方的に知っとんねん、ストーカーか」
ええー、ストーカー?なんのこと?ていうか『けんや』って誰?私のこと知ってんの?と混乱しながらも、「はあ?何言うとるんかサッパリなんやけど」「ちょお落ち着いて話せやお前」と眉を寄せながら通話を続ける忍足先輩をじっと見守る。すると忍足先輩はまた直ぐに私へと視線を向けて、今度は「ほんなら、『謙也』やなくて『財前』いうの分かるか?」と囁いた。
「ああ、それなら。四天宝寺の人ですよね」
「えっ、知っとるんか?何で?」
「いや、知ってるってほどでもないんですけど。顔と名前が一致するってレベルです」
「はあ……そうなん?微妙やけど、一応知っとるんならどないしよか。なんや、向こうのヤツがちゃんに用あるらしいねん。せやけど、これ……」
少し面倒臭そうに眉を寄せた忍足先輩が言葉を紡ぐ最中、先輩の手の中から『ほんま頼むわ侑士!鳳さん連れて来たって!』という叫びに近い大声が響く。その声はこそこそと話していた私達の声よりも余程大きく、私と忍足先輩だけでなく周囲に人間の耳へも届いた。勿論、私の目の前に座る兄の耳にも。
その瞬間に忍足先輩は『うわコイツやりやがった』とでも言いたげな顔をして、驚いた顔で振り返ったちょた君が「えっ、何のことですか?」と言いながらも何だか妙に不安そうな顔で私を見る。
少し遅いかもしれないが、ここで私は初めて気付いた。あれ、なんか知らないうちに、面倒なことになったっぽい……。
Afterword
シスコン降臨フラグを立てるだけ立てて待て次回!はは、本当はこの回で終わらせるはずだったんですけどね……。
この話、構想段階では3話で終わる筈だったなんて今となっては信じられません。でも、次で今度こそ終わるはず!
2010/03/08